1月9日(土) 梅若能楽学院会館

素謡 『翁』

  翁:梅若長左衛門 千歳:小田切康陽 地頭:角当行雄

狂言 『末広かり』 (和泉流 野村万作家)

  シテ(大名)野村裕基 アド(太郎冠者)石田淡朗 アド(すっぱ)岡聡史

  笛:竹市学 小鼓:飯田清一 大鼓:柿原孝則 太鼓:小寺真佐人

(休憩)

連吟 『老松』

  角当行雄 山崎正道 角当直隆

能 『小鍛治』・別習黒頭

  シテ(童子 稲荷明神)梅若紀彰 ワキ(三条宗近)殿田謙吉 ワキヅレ(橘道成)舘田善博

  アイ(宗近の下人)竹山裕樹

  笛:竹市学 小鼓:飯田清一 大鼓:柿原孝則 太鼓:小寺真佐人

  面:前シテ・童子 後シテ・大飛出・・紹介ないけど

 

梅若会の年始め。謡初めの会はなかった。

そのためか、どうか、『翁』は素謡。観世流ではこれを『神歌』と称するが、梅若では、同じく『翁』と言うらしい。

弊を下げた舞台に、蝋燭をかたどったのか、紙を巻いたようなものが二つ乗るモノを置いて、そこに向かって、斜めに前列に2人、翁と千歳、後列に地謡4名。全員裃。

梅若長左衛門が、謡い始めると、やはり気分が引き締まる。小田切さんの千歳もよろしい。地謡が2~3度乱れたように感じたのは、どうしてかな。そういう謡い方なのかな。6日に国立能楽堂で聴いた観世流観世会の『神歌』は、そんなことなかったような記憶だけど。

 

休みなく、狂言『末広かり』へ。出演者紹介のアナウンスが、シテ大名の初めのセリフと重なってしまう。

曲は、毎度毎度の祝言的なモノで、今更解説の必要はない。今回の配役は、シテが野村裕基君で、万作の孫、萬斎の子、1999年生まれ20歳、慶応大学在学中か。アド太郎冠者が、石田幸雄の子の石田淡朗さん、1987年生まれ33歳、英国留学から帰国している。

裕基君は、背が高いし、イケメンになっている。石田淡朗さんは、もっとイケメン。この若手2人のご存じ狂言『末広がり』。

まあまあ若々しい狂言で。裕基君は、『末広がり』のシテは初めてかしら。年初から重要な役で。背が高いから、堂々とは見える。長袴だから大丈夫だけど、あれだけ背が高いと、装束を作り替えなくちゃならないね。若いけど、しっかりした演技。笛座前辺りで控えている時、どうしても、眼が少しだけだけどウロウロしてしまうのは、まだ、ね。ぐっと睨み付けるようにしていると、目玉が動かずにすむ。

石田淡朗さんは、もう物怖じしないで演ずる。でもシテになれないのは、お家、ということかしら。

若々しい2人で、声も良く聞こえて、初春の狂言になりました。

 

連吟『老松』は、もともと独吟『老松』梅若実だったのが、当日になって、張り紙で変更告知。風邪だという。

配布された演能解説(梅若実玄祥・作)には、梅若姓が3人並んで初回をする、大変めでたいと同時に、いかに責任を持ってこれからを担っていけるかという決意でもある、と記されていた。で、実玄祥師は欠席。

去年12月の、トライアル公演のときも、突然に欠席で、独吟『弱法師』は録音で、シテ梅若紀彰『葵上』の地頭を山崎正道に交替した。

こうした動きをどう理解すればよろしいか。

突然配役されたお三方は、それぞれの精進で、上手く謡えたのでしょうが、角当行雄さんもご高齢は隠せず、他と同吟する時は声が小さくなる。山崎正道さんの声は良く聞こえていた。この後、引き続いて能『小鍛治』の地頭をするのに、大丈夫かしらと。

 

お目当て、紀彰師シテの『小鍛治』。別習黒頭の小書きは、一子相伝の大変に重い扱いだそう。ということは、実玄祥から、紀彰師に一子相伝されたのね。

梅若謡本を手元にして、鑑賞。

ワキ宗近とワキヅレ道成の語りが多いので、梅若謡本との違いばかり気になる。地謡はピタリとも揃っていて、上々のスタート。

前シテ童子紀彰師が、幕の内から「のうのうあれなるは・・・」と謡い出すと、それだけで、ゾクッとする。あれは、この世からの声ではない。右手に麦穂を持って、橋掛かりをゆっくり登場。おお、あの足使い、美しや。橋掛かり一の松付近でも、立ち止まって。中央付近に出て、下に居するが、動かない。ビシッと動かない。この辺りで、目頭が熱くなる。こういうお能が良いんだよ。

日本武尊が、草薙剣で東夷を退治する辺り、麦穂が剣。立ち上がって、麦穂を振って、戦う。格好いい。

ワキから誰だ、と聞かれて、稲荷山をさして、ささっと、スピーディーに橋掛かりを、くるりと回りつつ、退場。この動と静。眠気がでるはずがない。

アイは、万作家の竹山さん。済みません。ウトウトしました。

壇の作り物が出される。

ワキ宗近が幣帛を捧げて、身繕いをして、剣を打とうとし始める。ワキの殿田さん、何だか、痩せ細ってしまったけど、さすがの実力者、まだまだ声は出る。地謡も、ツヨ吟ばかりで、力強く、声を合わせて、謡う。調子が良い。

後シテ稲荷明神は、一度、幕の内からこちらを覗いて、一旦幕を閉めてから、揚げて再登場。何しろ、明神様。力強く、威厳があって、素早さも伴って。

囃子方も全力で、地謡も全力で、すべてピタリと調子と間が合って、素晴らしい。早笛。舞働き。

二人して剣を打って、剣は小狐と銘して、完成。後シテ稲荷明神紀彰師は、乱れることなく、完成を見届けて、幕の内、すなわちあの世に素早く帰って行く。剣の威徳、それを作り出す小鍛治と、明神様の威徳。

アイの時にウトウトしたのが嘘のように、お目々ぱっちり。ウルウル。面が、あれほどピタリと決まったのは珍しい。面なのだけども、お顔そのもののような。

紀彰師は、身体能力、声も謡いも、狂いなく、美しい。シテ方が、舞台の支配力を発揮すると、囃子方も地謡も狂いなく、ピタッと演奏できるのだ。地頭の山崎さんも、素晴らしかったです。迫力ある地謡に圧倒。

一子相伝の小書きを、揺るぎなく仕上げて、間違いなく当代一流のシテ方となる。素晴らしい。

 

コロナの非常事態宣言で、紀彰師のお稽古もどうなるか、思案中、協議中。やりたい、やりたいばかりだけど。

紀彰師は、来週、『二人静』のシテツレなのです。

悩み多き、高等遊民。