12月28日(月) ジャック&ベティ
1972年8月、横浜の村雨橋で、米軍軍用車両の通行を、飛鳥田市長と市民が、車輌前に座り込んで、止めた。法的根拠があって、車両法の重量オーバー。村雨橋を管理する横浜市が、重量オーバーの車両通行に対して、許可を出さず、橋を渡らせないというのだ。
相模原の米軍相模補給廠から、ベトナム戦争に利用された車輌が修理されて、国道16号線を通って、村雨橋を渡って、ノースピアから出航され、再びベトナムの戦場に送られて、南ベトナムの民族解放戦線との戦いに使用される。
ベトコン、というのはベトナムのコミュニストという明らかな蔑称、敵を示す造語で、日本でも、このコトバが無批判に使用されていた。ホントは、南ベトナム民族解放戦線。北ベトナム軍に指導、武器供給、軍人援助などを得た、南ベトナムの解放勢力。
この映画は、村雨橋の軍用車両通航阻止を皮切りに、相模原の補給廠前の、テント村と住民の監視行動、補給廠から車輌を出させないという戦いにも発展した。
戦いの最前線は、村雨橋と相模原補給廠西門入口付近の2箇所。
映画は、主として、西門地域の、相模原での戦いに参加した人々へのインタビューで構成された、ドキュメンタリー。
ちょっと個人的時代背景。1972年のその当時、ワタクシは、大学予備校に熱心に通っていた。
69年から70年にかけての70年安保闘争では、高校生ながら、ベ平連の隊列に加わって、月例デモや、国会前座り込みなどに参加していた。機動隊のジュラルミン製楯に囲まれて。押し込められて。流行っていたヘルメットは着用せず、社会党共産党の整然とした組織労働者の隊列とも、革マル派中核派などの過激派学生の隊列とも異なり、組織された隊列は嫌いで、市民の自由意志による、勝手なデモの隊列が空気に合っていた。
そんなことしていたから、当然現役では大学合格せず、浪人生活中は、政治とは離れて、勉強に集中していた。この予備校は、受験テクニックなどは教えず、学としての英語や、数学、歴史に夢中になって、初めて勉強した時期でもあって、モノゴトがどんどん理解できるようになっていく、当然成績も伸びると言うことに、満足感を得ていた。
だから、この戦車闘争は、ニュースで知るくらいで、この戦いにはまったく参加していない。
73年4月に大学に入学すると、直ちに学生運動の世界に入り込み、学生自治会運動や、国際連帯運動へ。
その当時、ベトナムからの留学生とも交流があって、相模原の戦車を止めた行動が、国際連帯行動として高く評価されて、ことあるごとに感謝を伝えられた。自分が参加した戦いではなかったが、ベトナム反戦行動を行っていた当時のワタクシには、誇らしいモノだった。
75年4月30日、南ベトナムのアメリカ傀儡政権は武力で打倒され、米軍関係者は先を競ってヘリコプターで逃げ出した。そのヘリコプターに取りすがろうとしたベトナム人達を、米軍は軍靴で蹴落として、去って行った。
ベトナム戦争は、北ベトナムと、一体になった解放戦線の完璧な軍事的勝利で終わった。翌5月1日のメーデー会場で、解放戦線の旗を打ち振って、参加した。
そんなことで、4年間はまったく授業には参加せず、その後、留年しながら熱心に司法試験受験に取り組んで、81年10月に合格。82年4月から司法修習生。
司法修習は、横浜配属で、ここでも、因縁的だったのが、弁護修習の指導担当弁護士が、たまたま、村雨橋の米軍車両通行禁止の仮処分申請を行った主任弁護士だったこと。ワタクシは、大いに影響を受けて、83年4月、この指導担当弁護士が所属する法律事務所で、弁護士開業した。
ワタクシの、青春時代の一コマ。
そんな背景の元で、この映画「戦車闘争」を知り、年末ではあるが、わざわざジャック&ベティに出かけていって、観た。青春時代の雰囲気に触れようと、しかし、シニア料金で観られるのだ。48年前。
この映画の評価を書くのは難しい。インタビュー中心だから、嘘ではなく事実なのではあるが、真実は伝えていない、と感じる。
学生時代に心酔して読んでいた、本多勝一の著作の中に、「事実とは何か」があって、深く感銘を受けた。例えば、ベトナム戦争でもルポルタージュ記事やフィルム映像があり、そこで表現されている出来事は、すべて「事実」ではあるが、全部の事実を伝えることは不可能だ。事実の羅列だけでは、真実は伝わらない。ある特有のフィルターを通して、事実を選択し、並べることになる。そのフィルターが、大切なのでしょう。
政治的信条と言っても良い。社会を観る眼と言っても良い。社会科学。人類の進歩とは何か。
共産主義か、反共産主義か。資本主義か。
平和主義、自由主義、民主主義。
そういった観点でこの映画を観ると、政治的には、社会党の左翼、社会主義協会派(向坂派)のプロパガンダになってしまっていると思う。
折角の証言インタビューなのに、勿体ないというか、事実ではあっても、闘争の真実からは離れてしまった。
あの戦車闘争の最前線で戦った人たち、現地で戦った人たち、そのリーダーは、どのように判断して、戦いを進めていったのか。機動隊と実力でぶつかることに、実力では勝てる訳がないのに戦うことに、心情以上の何の意味があるのか。
結局は、多数派を取らなければ、負ける。短期間の勝負で、非合法的な実力闘争をしても、部隊を疲弊させて、力を削ぐだけだと思うが。
残念な、映画でした。
ちょっと、日頃の高等遊民とはかけ離れた時間を得て、青春時代を思いだし、政治闘争のあり方も久しぶりに考えることが出来た。そういう貴重な時間ではあったが、他人にお勧めするような映画ではないかな。