12月19日(日) 横浜能楽堂

講演 馬場あき子

(休憩)

能 『蝉丸』 (観世流 九皐会)

   シテ(蝉丸)浅見真州 シテ(逆髪)大槻文藏 ワキ(藤原清貴)森常好 アイ(博雅三位)野村万作

   笛:松田弘之 小鼓:曽和正博 大鼓:白坂信行 地頭:浅井文義

 

今年最後の能楽は、馬場あき子さんの講演から始まる。

毎度のことだけど、取り分けて今回の講演は、馬場さんの頭の中には、実に沢山の逢坂関に関する和歌と、能『蝉丸』のことが詰まっていて、あれも話したい、これも話したいという、溢れんばかり。

またまた葛桶には腰掛けず、手にした資料を置くだけ。立ったまま、溢れるように、しっかりしたお声で、講演される。

今回の歌枕の、近江国逢坂関は、有名だし、思い入れのある、沢山の和歌に詠まれている場所なのですね。そこから連想される和歌と、更にそれから連想される出来事、蝉丸の和歌(小倉百人一首の)、蝉丸は実在の人物らしい、能作者が創作した逆髪、それも、天皇のこども達姉弟にしてしまう作者の連想の素晴らしさ、大変。

能楽であれば、人間国宝間違いないという方。文化功労者だって。文化勲章は。ご高齢でもあるし、いつまでこうした知識を広めて頂けるのか。

こういう素晴らしい講演を聴いた後で演ずる、役者はいかならん。と心配になってしまうほど。

 

が、今回の『蝉丸』の出演者は、まったくの粒ぞろい。2回目で、前回は、2019年9月に国立能楽堂で。今回は、2人シテ。前回はシテ蝉丸が大槻文藏、ツレ逆髪が野村四郎の両人間国宝だった。今回は、シテとツレに分かれず、シテ2人という体制にした。こういうのは初めて。大槻文藏が今回はシテ逆髪、浅見真州がシテ逆髪。更に、今回は、アイ(博雅三位)に人間国宝野村万作という豪華さ。馬場さんも、講演解説した後で、じっくりとお楽しみ頂いたことでしょう。

『蝉丸』という曲は、シテ(シテツレも)ほとんど動きがない曲。舞は、ないし、じっとじっくり立っているか、座っているか、少々向きを変えるくらいか、歩み程度。そこがこのお能の素晴らしさと、難しさだと思う。跳んだり跳ねたり身体能力を見える形で出すのは、難しいけど、若手が練習すれば出来るかな、だけど、この能のシテ蝉丸と逆髪は、動かないことが、見せ所。ホントに動かないけど、そこにどっしりした存在感が表れなければならない。蝉丸は、盲目だし。逆髪は、知恵ある狂女だし。

まず、シテ蝉丸が、橋掛かりから、まだ天皇子息の装束で登場するが、捨てられるのは解っているから、諦観があって、ゆっくり、しっかりと進む。ここで、浅見真州さん、すでに、舞台を支配する。

中央でじっと微動だにせずに立ち尽くした後、百人一首のあの蝉丸スタイルに物着して、座り込む。動かない。

ワキ藤原清貴らが去った後、アイ博雅三位の野村万作が、これも橋掛かりから登場するが、おおっと、この橋掛かりからの登場でも、気品が漂う。ワキの登場で、ピリッとする舞台って、凄い。

藁屋にシテ蝉丸を誘い、悲しみながらも去って行く。

そこで、シテ逆髪の登場。狂女の笹を持つ。今回は、大槻文藏さんは逆髪役。良い声だ。この登場でもまた、舞台が締まる。

今回の『蝉丸』は、このお三方の橋掛かりからの登場が、いずれも、舞台に緊張感をもたらすことが出来た。

そして、藁屋から出たシテ蝉丸と、シテ逆髪の語らい。初めこそ抱き合うが、後は座ったまま。この座った「まま」がよろしい。きちっとした座り。

別れで、シテ逆髪、シテ蝉丸の順で退場するが、シテ蝉丸が、盲目で見送り、特に最後のシテ蝉丸の退場も、ホントにゆっくりと。どうしても最後だから早めに帰りたくなるのじゃないかと思うけど、浅見真州さんは、力を抜くことなく、緊張感と寂しさを最後の最後まで維持していた。素晴らしい。

 

こういう、お能を楽しめるようになりました。高等遊民も。

この日のお能で、メモに寄れば、144番目(99曲目)。わずかの時間に。うち、ブログになっているのが、7番(6曲)目からだから、137番(93曲)分がブログに書いてある。2年3ヶ月。

よく観て、よく書いたなあ。最初と全然違うけどね。進歩したのでしょう。