12月13日(日) 横浜能楽堂
狂言組 (大藏流 山本東次郎家)
『泣尼』
シテ(住持)山本泰太郎 アド(施主)山本則重 アド(尼)山本則俊
(休憩)
『福の神』
シテ(福の神)山本東次郎 アド(参詣人甲)山本則孝 アド(参詣人乙)山本凜太郎
地謡:山本則俊、則重、則秀
お話し 山本東次郎・・・小歌
久しぶりの、東次郎家狂言堂出演。
3月に予定されていた、東次郎家伝12番の12番目が中止になってしまい、狂言堂の生出演もないまま、今回の狂言堂出演で、狂言堂としては、実に久しぶりの出演。その前の1年間は、東次郎家伝12番で毎月だったから、その間は狂言堂はお休みでしたもんね。
狂言堂は、お話しというか解説があって、東次郎さんの解説が楽しみなのです。
ワタクシは、東次郎家の8月のこども狂言堂があって、それに行っているから10ヶ月ぶりと言うことはないけど、まあ、久しぶりでございますのよ。
東次郎家の狂言自体は、結構あちらこちらで観ていたから、その意味ではホントに久しぶりではないのですが、とにかく、解説があるのはこの会だけなので、よろしいのです。
『泣尼』何回目か。シテ住持が、説法などしたことがないのに、アド施主に頼まれて断れず、頑張ってやるのだけど、聴衆が感動しないとマズイと思って、お布施の半分を渡す約束で買収して、参加して貰う。ところが、その打ち合わせなどではよく泣くのに、本番では、あちこち見たりして落ち着かず、居眠りしたり、最後は横にまでなってしまう。その、アド泣尼ばあさんの、雰囲気が、実によろしい。則俊さん。さすが年の功、といっては失礼だけど、腰の曲がり、キョロキョロする仕草、居眠りの仕草、ああ、ああいうばあさんいるよね、と。
説法をするシテ住持の泰太郎さんは、しっかりと法話を試みるが、残念ながらその内容は聞き取れない。が、時々、起きろ、とか寝るなとか、言っているところだけは解る。舞台正中に、演題みたいな作り物が出たけど、そうだったかな。
説法が終わっても、寝ていたので報酬は渡せないぞ、それでもおくれよと泣尼婆、逃げ去るシテ住持、追いかけるアド泣尼ばあさん。
でも、泣尼が寝ていたりしても、お布施は頂けたのだから、よろしいでは無いか、とも思われる。ケチなシテ住持と、こちらもお金が欲しいアド泣尼。
『福の神』も何度目か。最初参詣人として登場してきた、凜太郎君。あれれ、結構貫禄付いてきたぞ。凜太郎君では悪いかな、凜太郎さんにしようかな。
幕の内から、大きな、朗らかな笑い声。この笑い声だけで、こちらは頬が緩む。朗らかだ。
金銀財宝など入らないのだ、酒をくれ、それでよろしいから、シテ福の神山本東次郎さん、これも朗らかに、愉快そうに、楽しく、地謡も入って、舞、謡う。ホントに、愉快、愉快。これこそ、真ノ神様。
もっと、謡と舞が長かったような記憶だったけど、案外、すっと終わってしまった。
新年に相応しい、悪人が出てこない、取り分けての失敗もない、お目出たい狂言。見ていても気分がよろしい。豊かな気持ち。
ちょこちょこと、いつもの足取りで橋掛かりから登場して、お楽しみの、東次郎のお話。色々解説していただいて、『泣尼』の説法の内容も。
なんでも、お目が両の眼とも悪くて視界が悪い、膝も痛めていて、場合によっては痛くて歩けず車いすだとか。えーっ。それなのに、あんなにちょこちょこと歩いて。舞も全然乱れていませんでしたよ。
予定していたのか、突然なのか、解りませんが、東次郎作の何年か前の新作狂言の小舞を披露していただいた。
そういう身体の調子を聞いた後であっても、実にしっかりと、謡、舞っていて、びくともしない。記憶も衰えず。
前日の、梅若実先生のお姿を思い浮かべてしまって、さすがの東次郎さんの舞いに、思わず目頭が熱く。これは、しっかりと目に焼き付けねば、と。実は、膝も痛いのかも知れないけど、みじんも見せず。見所には絶対に解らない。凄い。多分、83歳になられたか。
能楽で、小舞(仕舞)だけで泣くなんて。その前の『福の神』では、朗らかにさせて頂いて。この小舞は、終生忘れないかも知れない。
東次郎さん、また、3月に狂言堂。
そしてそして、ホントに元気な内に、やり残した家伝12番の12番目、是非に。
『鱸包丁』シテ主山本東次郎、アド甥山本則孝、『若菜』シテ大名山本則重、アド太郎冠者山本則俊、アド次郎冠者若松隆、立衆(大原女)山本泰太郎、則孝、則秀、凜太郎。囃子も入って。
配役は多少変わっても仕方ないから、是非に、是非とも、最後の12番目まで。曲からすると、やはり来年の春かなあ。
お願いします。東次郎さん、横浜能楽堂さん。