10月7日(水) 国立能楽堂

狂言 『金藤左衛門』 (大藏流 山本東次郎家)

  シテ(山賊)山本泰太郎  アド(女)山本則重

(休憩)

能 『江口』 (観世流 銕仙会)

  シテ(里の女 江口の君の霊)梅若万三郎 ワキ(旅僧)宝生欣哉 アイ(所の者)山本東次郎

  笛:赤井啓三 小鼓:大倉源次郎 大鼓:亀井忠雄 地頭:梅若実

 

狂言の『金藤左衛門』は、初めて。キントウと読む。

シテ山賊(=山立)が、御上の許可状を貰っているとして、アド里帰りの女を、長刀で威して折角用意した里への土産の小袖などを奪い取られてしまう。しかし、どうも悔しいアド女は、引き返して、成果に喜んでいるシテ山賊の隙を見て、長刀を奪い、逆に威す。で、まず太刀を奪い、土産の小袖など全部を奪い返し、更にシテ山賊の身ぐるみをはいでしまい、引き上げる。呆然と見送ったシテ山賊は、「人に施しをすれば良いことがある」などと口に出し、大笑いをして帰って行く。

山賊が何をいっているんだ、という話し。心の直ぐでないものとは、屏風のように曲がらなければ立っていられない、また、風が吹けば倒れてしまうと言うことらしい。山賊も仕方ないのだ、と同時に、風が向かなければ直ぐに諦めて、前を向いて前進する、ということか。

中世語で「キントウ」とは、「筋を通して几帳面」と「風に吹かれてひっくり返る」と二つの意味があったと、プログラム解説。

国立能楽堂のプログラム解説は、よくできている。お勉強になる。

この『金藤左衛門』は大藏流だけらしいが、和泉流だけの類似の曲に『痩松』があって、こっちは観たことがあると思う。

演者の泰太郎さん、則重さんも、安心して観ていられる。安定感。芸。後見に、凜太郎君がでていた。お能では、後見はベテランがやるんだけど、それだけ実力が付いてきた、ということかしら。

 

能『江口』も初めて。プログラムによると、あらゆる能の中でも最高傑作の一つ、と。

前場は、西行が、淀川河口の江口の里(遊女の里)で、泊まろうとして断られた時の「世の中を厭うまでこそ難(かた)からめ仮の宿りを惜しむ君かな」という古歌を、ワキ旅僧が口ずさむと、前シテ里の女が現れて、「世を厭ふ人とし聞けば仮の宿りに心留むなと思うばかりぞ」と返す。遊女なんだから、出家はできないだろうけど、一夜の宿を貸してくれても良いんじゃないの、という西行に対して、出家なんだから遊女宿に泊まってはマズイでしょ、そんな遊女宿に執着してはなりません、ということ。

昔の、遊女は、教養も機知も十分だったんだね。楽しそう。

 

後場は、遊女は、実は普賢菩薩の化身だとする、著名な僧の説話を基にして、船遊びに現れた後シテ江口の君の霊が、普賢菩薩に化身して消えていく(という設定らしい)舞台。

 

これが、お能の最高傑作の一つかどうかはわからなかった。が、人間国宝が4人も出演した。囃子方では小鼓と大鼓。地頭。それにアイ。

一体誰が、囃子や謡をリードするんだろうか。今回の地謡は、4人2列で旧に復していて、地頭の梅若実は椅子に座っていたが、相変わらずの美声と名調子で、少なくとも地謡は完全にリード。後場は、地謡が多いのだ。

このメンバーに対して、シテの梅若万三郎は、衰えが見えてしまって。前場では動きが無かったから良く解らなかったけど、後場での橋掛かりから本舞台に歩む時に、ヨロヨロ、ヨチヨチと歩む。摺り足どころでは無いのだ。舞もほとんど無くて、僕らでも解るような基本の型を繰り返すだけ。プログラムでも序ノ舞は演出上省略と書いてあったけど、できないんじゃん、無理なんでしょ。

ビックリしたのはシテ退場の時。ゆっくり、ヨロヨロ、ヨチヨチ進んで、橋掛かりにかかった辺りで、主後見の観世銕之丞さんが出てきて、文字通り手を添えて、介助してやっと退場。時間がかかって、ワキ達の退場も遅れる。

 

こういう舞台をどう評価すれば良いのだろうか。歳を経ても、よろついても、まあ、よく舞台で転ばなかったじゃ無いの。80歳だし、上出来だよ、きっと最後かも知れない舞台で、最後の花だね、というか。

いやいや、見所の立場、素人の観客の前で、あのような醜態をさらしてはいけない、ということか。

梅若万三郎、3世。80歳にして、どうしてあのような身体状態で舞台に立つか、玄人仲間では、よくできた、うれしいよ、と言うべきか。素人としては、みっともない舞台はまずいんじゃ無いの、かしら。

我が年齢を考えて、今度の発表会で仕舞『竹生島』という結構激しいのをやろうとしているのは、まずいのか、等と考えてしまって・・。勿論、東次郎さんのように、もっと高齢でもすっきりと舞える方もいらっしゃるし。梅若実さんも、舞は難しくなっているけど謡は最高なんだから。

なんだか、考えさせられる舞台でした。心は、浮き立たず、沈んでしまって。拍手も少なかった。

世阿弥は、何というか。

能舞台は、玄人だけのモノか、素人の見所なども考えるべきか。離見の見。

 

(後日注)

『江口』は、初めてと書いたが、2017年5月20日に、横浜能楽堂で観ていたことが判明した。シテは、浅見真州さんだった。まったく記憶していなかった。まだ、お能を見始めて、3曲目くらいで、どうしてその会に行ったのかも解らない。

おそらく、同時上演の、狂言『船渡聟』シテ野村萬・人間国宝に惹かれていったのでしょうと。

まだ、ブログを書き始めていない時だから、感想も何も解らない。ブログは記録・日記として書いておくべきモノだね。