9月26日(土) 横浜能楽堂

狂言 『今参』 (和泉流 野村万作家)

   シテ(大名)野村萬斎 アド(太郎冠者)野村太一郎 小アド(阪東方の者)野村裕基

平曲 『判官都落』

   須田誠舟

(休憩)

能 『船弁慶』遊女ノ舞・替ノ出 (金春流)

   シテ(静御前 船弁慶)櫻間右陣 子方(源判官義経)村下瑠惟 ワキ(武蔵坊弁慶)森常好

   アイ(船頭)高野和憲

  笛:松田弘之 小鼓:飯田清一 大鼓:亀井広忠 太鼓:金春惣右衛門 地頭:長谷猪一郎

 

毎年やっている「平家物語」の語り。去年も観た。なんとなく平家物語に関係する狂言や能と共に、企画としての売りは、平曲だろう。

 

狂言『今参』は、何度目かわからないけど、大名は新参者を募集するところから入る。8000人、2000人、最後は1人になるのは他の狂言と同じ。

それで、新参者=今参の試験をするのであるが、馬鹿にされないように大名も見栄を張るし、新参者も自分を売り込みたい。この曲は、秀句の出来を認めさせようということ。駄洒落なのか。

このコトバ遊びが何回か観ても良く理解できない。解説にあったから理解した範囲では、「破れた的」→「居所がない」。とか「早くおいで、判官の思い人」→「静、静に・・」と答えるべきところを「武蔵坊弁慶」と答えてしまって、シテ大名に怒られるという。

まだ、良くわからないですね。こういう掛詞、コトバの受け答えは、昔はいくつかパターンがあって、そういうのを好きな人物たちは覚えていることがお遊びだったんだろうな。

で、この判官、静あたりが平家物語に関係していると言うことで選曲されたか。

野村万作家は、前日も銀座の観世能楽堂に出演していたから、連日で大変ですね。コロナの影響でつまってしまったのかも知れませんが。

 

平曲とは、平家物語を曲節を付けて琵琶の伴奏で語るモノで、日本中世の語りモノの一つ、らしい。平らに謡う曲ではなくて、平家物語の「平」「曲」だって。広辞苑によると。

今回は、巻二十三ということで、23年目。多分初めからずっと語り続けてきたのでしょうか。今回は、「判官都落」の段を語った。須田誠舟さんは、良い声で、良く通る声で、能舞台の中心に椅子に座って、琵琶を抱えて、語る。台本は持ってこない。今年は、一箇所絶句した箇所があって、切り戸口の奥からアドバイスが入った。去年はそんなことなかったのにね。

こういう平家物語を聴くと、ああそうだ、去年は「平家物語絵巻」を図書館でずっと読んでいたなあ、と思い出して、また読んでみるか、という気になる。確か、4巻の途中で終わってしまっている。物語としてもよろしいし、あの絵巻が素晴らしいので、楽しいんですね。

 

休憩の後、金春流の『船弁慶』。シテは、櫻間右陣さん。金春流の宗家より中心だろうか。櫻間家の当主。先代父親は人間国宝だった。

『船弁慶』は4回目。ユーチューブもあるし、ストーリーや流れは良くわかっている。比較して申し訳ないが、今回は「子方」がイマイチだったなあ。ワキの森さんはさすが。金春流シテ方櫻間右陣さんは、無難にこなしてはいたけど、最後の戦いのシーンが迫力が出ない。学芸会か。これは子方がまずかったんじゃないかと。調べても、どういう系統の子かわからなかった。

金春流は、たしか拠点となるべき能楽堂が無いんじゃないか。歴史はあるけど、後継者が育っていないのか。それとも何か内紛があるのか。あまり好きにはなれないな。

実は、来月も国立能楽堂で金春流の『船弁慶』があって、チケットは買ってある。再来月は、観世流片山九郎右衛門シテで。これまで、喜多流、観世流梅若、観世流、金春流とみてきたが、今回のはあまり良い出来ではなかった。

何が悪いんだろうか。地謡が、2列で、2人と3人。この不足かな。子方かな。印象的で申し訳ないけど、シテ方が纏めきれないのかな。

ま、来月、再来月と良く観てみましょう。