9月13日(日) 横浜能楽堂
狂言組 大藏流 茂山千五郎家
お話し 茂山千五郎
『鳴子遣子』
シテ(茶屋)茂山七五三 アド(甲)茂山千之丞 アド(乙)山下守之
(休憩)
『無布施経』
シテ(出家)茂山千五郎 アド(檀家)茂山千之丞
お話しは、やはりコロナで、まったく公演ができなかったこと。その中でユーチューブを使ったりして来たこと、7月後半から公演は始まったが客席半分でそれはそれで見やすいという利点もあったこと、そういう努力をしてきてやっとどうにかできると工夫してきたのに、今月19日から半数の観客制限が撤廃されると、狂言などはかつての通り公演できる訳で、良いのか悪いのか、どうなのかなあ、という。
確かに、市松模様の客席は見やすくて大変によろしいが、まあ戻るから良いのではないかと思うけど。でも、マスクとか退出時の時間差だとかは変わらないのでしょう。
また横浜能楽堂とか、国立能楽堂とか、来月分以降の予約方法が変わるか。ガイドラインの変更がなされるでしょう。
『鳴子遣子』は初めて。秋の野原に遊山に出かけた2人が、雀よけのなる子を、鳴子と呼ぶか、遣子と呼ぶかで、掛ける、判定の茶屋の親父は賄賂を双方から約束されていたのに、判定はどっちでも良い、とカケロクの腰のものを二人分取って逃げてしまい、遣るまいぞ遣るまいぞ。賄賂が横行する世、すぐ掛けにする世、世相が見えて面白い。
狂言のコトバで良くでるのか、「なかなか」「ワワシイ」「むさとした」「かけろく」というのがあるが、なかなか慣れないと解らない。が、沢山聞いてくると解るようになる。それも面白い。
『無布施経』は何度目か。東次郎さんでも2回は見ている。茂山千五郎はあまり演じたことがないと言っていた。先代の千五郎は「どうしても布施を取ってやろう」という気持ちで、もう一人は、「恥ずかしそうに」やっていただと。
で、千五郎は、あまりモノ欲しいのも嫌だなあ、等と言っていたが、途中は、今までと大して異ならず、嫌らしく迫る様子はない、何かと「ふせ」というコトバを付け加えるのは通常の通り。最後、袈裟を隠していたのがバレてみっともないことになるのだが、千五郎はここで「南無阿弥陀仏」との台詞。東次郎は、確か、「面目ない」だった。
東次郎さん流の方が好きかな。
高等遊民。今月は、5日から11日まで7日間で5回の落語会。頭が落語に染まって何だか妙だった。面白いけど続くと、ね。
で、少々能楽の頭に切り替えましょう。