9月11日(金) 横浜にぎわい座

桂團治郎 『看板のピン』

『七段目』

桂佐ん吉 『手水廻し』

『天狗裁き』

(お仲入)

『代書』

年に2回かと思っていたが、年に1回の米團治独演会。噺家3人登場だが、3人とも上方風そのままで、速射砲のような話しぶり。

桂米團治は、亡くなった桂米朝の長男、その米朝の師匠が先代米團治という関係。そのほかにも、ざこばとか、枝雀とか、月亭可朝とか、コテコテの大阪落語家の話が色々でてきたが、米朝が偉大であったと言うことが、重しになっているか。人間国宝で、文化勲章。漫才に押されっぱなしの大阪で、落語を復活というか、現代まで押し上げた人物。その長男と言うことで、また、米朝事務所の代表取締役で、特にこのコロナで大変なんだろうな。

 

桂團治郎『看板のピン』。関西弁でまくし立てる賭博のお話し。あれだけ早口で喋るから、五席もできるんだろうな。知っているから解るけど、初めての客がいたら解らない。

 

『七段目』。これも関西芝居のお話し。まあ早口で。歌舞伎を知らない人にも、ついて行けないかな。

でも、ボクは、知ったお話しだし、調子は嫌いではないから、良い感じで笑う。

 

桂佐ん吉『手水廻し』。これは初めて聴くお話しだけど、大阪の客が泊まった宿で「手水を回してくれ」と頼んで、田舎の宿では手水の意味が解らず、頭のとがった長頭(ちょうず)の人を呼んできて、部屋で頭を回させる、怒って帰ってしまうので、大阪まで見学に行って手水を回して貰うと、金盥にいっぱいのお湯、塩などが来て、混ぜて飲んでしまうと言う、いかにも上方のお話し。

話調子や仕草が、桂枝雀の再来のようで、ああ、やっぱり、今でもお手本になるのだなあ、と。

 

『天狗裁き』は夢の話。トントンと、女房、となり、家主、奉行、天狗と話が進む。まったく、そのままのお話しで、工夫はないが、それはそれで。

早口で、ついて行けないか。

 

仲入後は『代書』。この演目。枝雀のが面白くて、同じ上方でどうするか、と楽しみ。一之輔のも超が付く面白さだった。

この日の『代書』は、最初の訳のわからない無学文盲の人に振り回される代書やの話しだけではなくて、登場人物が、更に、書家、、朝鮮人(昭和初期)、ドイツ人捕虜の子、と聴いたことがない人物まで登場する。

最初の無学文盲者だけで、時間がかかるのに、更に続くからビックリ。もともとはこんな話ダッタンか。どうも、先代の米團治(米朝の師匠)の創作らしい。昭和初期は噺家の落語だけでは喰っていけなくて、先代米團治は行政書士(代書や)も兼業していたらしい。どっちがホントの商売か解らないけど。その時の経験から創作されたらしい噺。朝鮮人(昭和初期)の部分など、かなり蔑視的な表現もあって、現代では封印なのかしら。でも、直系弟子が「復活」させたか。枝雀も、最初の登場人物だけで打ち切っていたもんね。

 

上方落語は、嫌いではない。年に1~2回は聴いてみたい。枝雀は惜しかったなあ。

去年も9月ににぎわい座で聴いていた。ブログに書いてあった。

米團治は、2008年頃から、毎年にぎわい座で口演してきたようだ。最初は、「地獄八景」をやったと言っていた。

11月28日に、国立能楽堂で萬斎の『朝比奈』とともに、米團治が『地獄八景亡者戯』をやる。行こうかな、どうしようか。面白くなかったらどうしようか、との不安もあるし。でも、滅多にでない演目だから。