7月11日(土) 国立能楽堂
解説 「能・狂言の東国ー武蔵野と隅田川」 竹本幹夫
狂言 『神鳴』 (大蔵流 山本東次郎家)
シテ(神鳴)山本則秀 アド(医者)山本則俊
笛:藤田寛 小鼓:成田達志 大鼓:柿原光博 地頭:山本泰太郎
(休憩)
能 『隅田川』 (観世流 宗家)
シテ(梅若丸の母)観世恭秀 子方(梅若丸)清水喜久 ワキ(渡守)宝生欣哉
笛:藤田次郎 小鼓:成田達志 大鼓:柿原崇志 地頭:坂井音重
面:シテ「深井」
復活第2弾国立能楽堂。前回には気づかなかったが、最前列席は全部使用不可。あれだけ間が空いているのにね。更に。これだと、鎌倉能楽堂や川崎能楽堂は、結構キツくなるね。
また、切り戸口が常に開いていて、脇正面からは見えたので、ちょっと締まりがないが、仕方なし。
いつも、解説は面白くないのだけど、竹本さん(早稲田を去年退官されたそう)は面白かった。退官した方が良いのかな。東国とはどこか。昔は「逢坂の関」より東。名古屋当たりは、海を通らねばならないし。そこから更に東国の武蔵野は、本当の辺境の地。隅田川が東、多摩川が西の地域。隅田川を渡ると、東国より更に東の、蝦夷の国。
『神鳴』初めてかも。でもどこかで勉強したかな、内容は知っている。雷神が落ちてきて、たまたま京から東国に田舎落ちする途中の藪医者が針治療して治してやる、直してやるが、代価が払えない、そこで、今後800年間、干魃や水害から守ってやることを約束するという。そんだけ、当時は干魃水害が困っていたんだね。それを治療の対価にする。
最初は、永久に、次は萬万年を要求、雷神の方は、1年2年から初めて、交渉の結果800年で妥協という、極めて民主的な交渉。威しなんかないんだ。トランプ、見習え。
雷が鳴る時のおまじない、「くわばらくわばら」は、「桑原」と書くらしい。その謂われを、液晶画面で表示していた。
広辞苑でも調べてみる。第1説、雷神があやまって農家の井戸に落ちた時、農夫は蓋をして天に帰らせなかった。雷神は、自分は桑樹を嫌うから、桑原桑原と唱えるならば再び落ちまいと答えたとの伝説に基づくという。第2節、死して雷となった伝える管公(菅原道真)の領地桑原には古来落雷した例がないのに因む。
国立能楽堂は、第2説の方を解説表示していた。能楽は勉強になるねえ。第1説は、雷神側の事情、第2説は、人民側の事情。9日の万作萬斎狂言『水掛聟』は、水掛け論と泥仕合。
狂言の地謡は、囃子座に3人だったが、マスクはなかった。万作萬斎はマスクだったのに。
『隅田川』、何度も観ている名作悲劇。何度観てもよろしい。
今回は、特筆すべきは、船中で、対岸の謂われを語るワキ舟守の話を聞く際の、シテ母の様子。正中先の後方にかがんで下に居するシテ母、どうやら息子が死んだらしいとわかり始めると、4分の1くらい、ふっと後ろのワキ舟守の方を伺う。それだけ。あとはじっとして、シオる。このちょっとした動きが、シテ母の驚きと悲しみを表現する。
対岸に上陸して、皆で南無阿弥陀仏と唱えると、ある瞬間から子方の声が塚から聞こえてくる。そして、シテ母と子方だけで、南無阿弥陀仏を唱える。このときの、子方の声が良かった。10歳らしい。ボーイソプラノのように澄み渡った声。シテ母の声と重なり、憐情が伝わる。子方は、後見にでていた清水義也の長男だって。将来有望かも。
地謡は、前回の喜多流は、常の通り4人2列だったが、今回観世流観世会は、1列5人で、間隔をやや開けて。やはり、マスクはない。
太鼓の後見が、最初マスクをつけて登場してしまって、あわてて外していた。やはり、舞台上ではマスクはしないというのが、礼儀なのかな。
高等遊民。コロナの休息を経てから、若干の能楽鑑賞態度に変化が出たか。楽しむようになった感じ。いままでも楽しんでいたのは楽しんでいたが、純粋に、楽しむ、能楽鑑賞できるという楽しみ。役者の方も、力が入っているのだろうか。