1月25日(土) 鎌倉能舞台
解説 「能楽での鏡」 中森貫太
狂言 『鏡男』 (大藏流 宗家)
シテ(山家の男)大藏吉次郎 アド(妻)宮本昇
能 『野守』 小書き・天地之声 (観世流 九皐会)
シテ(野守の精 鬼神)中森健之介 ワキ(山伏)野口琢弘 アイ(春日ノ里人)大藏教義
笛:竹市学 小鼓:鵜澤洋太郎 大鼓:原岡一之 太鼓:澤田景良 地頭:中森貫太
土曜日だとかなり混む。満席ではなかったようだが。解説は、今日は間違えずに。別に「能楽」の鏡と言うより、昔の、鏡というモノのお話。だが、それを知らないと、確かに、今日の狂言も能もわかりにくい。
狂言『鏡男』初めてかな。でも、似たようなお話しは落語にもあったような。今日土産に鏡を妻に買って帰るが、妻は初めて見るのか、鏡を覗いて、夫が女を連れて帰ってきたと思う。
国に帰る前の、京時代の土産を何にしようかな、という辺りの男の一人語りが長くて、そこで退屈。だが、大藏吉次郎さん、かなりの高齢なのに、1~2箇所咬んだところがある以外は、立派に演じきった。
能『野守』も初めて。春日野の曰くありげな池にまつわるお話。いつものパターンで、羽黒山の山伏が奈良春日にやってくる、そこに現れた老人、実は野守の精から色々な話を聞く、所の者から話しも聞いて、幽霊だとわかって、山伏は祈るが、鬼神となって現れて舞働き、パタッと終わって、幕に入っていく。
天地之声の小書きは、本来は作り物の墓が出てくるのを、鎌倉能舞台は狭いので、幕を墓に見立てて、作り物の中での物着ではなくて、幕から出て物着をして、幕の中から登場する。確か、別の曲でも「天地之声」という小書きがあって、あれは国立能楽堂だったかな、幕の中から鬼神などの声が聞こえる、というモノ。
シテもワキも、若手で、さすがに大きな、良い声をしている。伸び盛りの若手能楽師は、大切にしたいね。
最後の質疑の中で、とにかく若手が少なくなってきている、また、装束を作る業者も後継者不足だと。素人弟子も少なく、高齢化していると。このままだと600年続いてきた能楽も生滅すると。昔は、年に1000万円使う素人弟子が5人居れば安泰だったが、等と言われてもねえ。そんなん無理じゃん。そういう夢を見ている限りは、昔を懐かしんでいる限りは、将来はない。ただ、若手能楽師が、例えば40台になって、上手い人で年収1000万円以上稼げるような体制にならないと、将来のシテ方や能楽師、囃子方も出てこないよねえ、と思う。
だからといって、高等遊民、何ができるわけじゃないけど、せいぜい能楽を楽しんで、お稽古を楽しんで、できる範囲で着物などをも買って、良いよおと宣伝して。位でしょう。