1月24日(金) 国立能楽堂

狂言 『三本の柱』(大藏流 善竹家)

   シテ(果報者)善竹忠重 アド(太郎冠者)善竹富太郎 アド(次郎冠者)善竹忠亮 アド(三郎冠者)茂山忠三郎

   笛:栗林祐輔 小鼓:鳥山直也 大鼓:佃良太郎 太鼓:林雄一郎

狂言 『法師が母』 (和泉流 野村万作家)

   シテ(夫)野村万作 アド(妻)野村萬斎

   笛:栗林祐輔 小鼓:鳥山直也 大鼓:佃良太郎 地謡有り

(休憩)

新作狂言 『彦市ばなし』(流派なし 茂山千五郎家)

   シテ(彦市)茂山千五郎 アド(天狗の子)茂山千之丞 アド(茂山逸平)

   笛:栗林祐輔

 

国立能楽堂の今月の特集が「狂言の歩んできた道とれからの可能性」だそうで、珍しく、狂言組。つい買ってしまった。

 

『三本の柱』何回か観ているし、ストーリーもわかる。面白さもわかるから、ちょっと退屈。アド三郎冠者に、茂山忠三郎が出ているのが、面白かったかな。善竹家では足りなかったのか、茂山忠三郎家の育成のために呼んだか。

ここでも、山から柱を3本下ろすのに、即興作の囃子をしながら降りる。それを下にっている果報者も聞いて、浮かれる、という話。囃すというのは、やはり、そういう意味なんだ。

 

『法師ヶ母』は初めてかも知れない。万作・萬斎だからしっかり見ようと思ったのに後半は熟睡してしまった。狂言としては大して面白くない。酒に酔った夫が、妻を離縁するが、後悔する、という話(らしい)。

後半は能仕立てで、お囃子も入るし、謡いも多い(らしい)。能の『丹後物狂』(廃曲になっている)のもじりで、「物に狂ふも五臓ゆへ、脈の障りと覚えたり」という謡が「物に狂ふも五臓ゆへ、酒の仕業と覚えたり」と、換え謡になっている(らしい)。

勿体ないことをした。

 

『彦市ばなし』これは面白かった。これだけで、この会に来た甲斐があった。

昭和25年(戦後ですね)木下順二が作った民話劇をもとにして、昭和30年、武智鉄二が演出して、茂山千之丞(2世)、野村万作、茂山千作(4世)が出演して狂言とした、らしい。

台詞は、民話劇の物をそのまま利用して、熊本弁のまま。それで狂言仕立て。

紛れもない嘘つきの彦市が、天狗の子から「隠れ蓑」を騙し取る。「隠れ蓑」って、それを着ると身を隠すことができるという、蓑、だそうで、透明人間になれるのね。それが転じて、真相を隠す手段という意味になったんだそう。元々の意味と転じた意味が良くわからなくて。学がと教養がないなあ。

おおらかな殿様が出てきて、また彦市が騙す。全部うまく行きそうになるが、結局失敗する。隠れ蓑を女房が燃やしてしまったが、その灰でも同効果が出るモノの、天狗の子との争いで、川に落ちて、灰が流れて彦市がバレてしまう。殿様は、彦市が約束のカッパを捕まえようとしているのだと誤解して、応援して、お終い。悪意の嘘とその失敗、善意の誤解。その織りあやし。

民話だね。彦市は熊本の昔話の登場人物らしい。こういう新作狂言はどうか。伝統との兼ね合いは、等と考えるけど、良いのではないだろうか。演じているのが、一流の狂言師であることもあって、足運びや動作も、狂言の枠を離れない。一畳台も出てくるし。なんと言っても初上演に野村万作が天狗の子役だったらしいので、良いんじゃないだろうかと、思ってしまう。楢山節考もあるし。

新作狂言と言っても、すでに半世紀以上前のモノ。狂言界に受け入れられてきているのではないか。