12月14日(土) 横浜能楽堂
狂言組 (大蔵流 山本東次郎家)
『木六駄』
シテ(太郎冠者)山本凜太郎 アド(主)山本則秀 アド(茶屋)山本泰太郎 アド(伯父)山本則俊
(休憩)
『米市』
シテ(男)山本東次郎 アド(有徳人))山本則孝 立頭(通行人)山本則重 立衆(通行人)山本凜太郎、他
手が込んだパンフが作られていて、東次郎家の力の入れようもわかるし、能楽堂の宣伝も行き届いているのに、どうして満席にならないのだろうか、と。まあ、それでも95%の入りではあるから、もしかしたら完売なのかも知れないが。
能楽の、こんな素晴らしい狂言家の芸を、観ないなんて。
『木六駄』、凜太郎君がシテだから楽しみにしていた。大蔵流の他家や和泉流では、太郎冠者の追っていく牛は十二頭で、薪六駄と炭六駄で、大雪の中、シラフで峠を登って、茶屋で進物用に担いでいく樽酒を飲んでしまって、宴会になって、薪六駄を茶屋にやってしまい、伯父に届けるのが炭六駄のみになってしまうと言うお話らしい。
ところが山本東次郎家の『木六駄』は、シテ太郎冠者がまず飲んで出かけて、持っていくのも六駄の柱と、上等の樽酒(もろはく・諸白)を担って。で、雪なのでアド茶屋と宴会になって、すっかり酔っ払って寝込むと、途中の峠まで登ってきていたアド伯父と会ってしまって、叱られるというお話。
そうだっけか。これまで何回か『木六駄』観てきたけど、良くわからなかった。このブログには記録がないから、もっと以前か、東次郎家ではなかったのだろうか。
最近の野村万作の本に『木六駄』が取り上げられていて、雪の峠に登る時の心細さとか、寒さが難しい、さらにその反動で茶や主と飲んでしまう心の動きが難しいとも書いてあった。万作だから、今回の筋とは違うお話だったんだ。もっといっぱい観て記憶して記録して、そういう楽しみも味わえると良いなあ、高等遊民。
シテ太郎冠者の凜太郎君は、一生懸命演じていたが、やはりまだ若い。
雪山登りの苦労や寂しさ、酒盛りの楽しさが、まだ表面的。深層心理に達していない。仕方ないけど、期待しているんだから。東次郎の甥(次世東次郎か?)の泰太郎、その子の凜太郎。大事な東次郎家の曲を伝えて欲しい、と言う意味合いも込めての、今回の配役だろう。
茶屋で、アド茶屋泰太郎とシテ太郎冠者凜太郎が飲み、謡い、舞うシーンで、謡う一部に「ウーウサギモウ ナミヲ ハシルカア オモシロノケシキヤア」と。あれれ、今習っている『竹生島』の一部じゃないか。こういうの良いねえ。一部が聞こえるだけじゃあなくて、あれだ、ってわかるの。舞も、あるいはやったことがある舞だとすると、鑑賞の楽しさ倍々増だなあ。
『米市』初めて。もしかしたらこれも東次郎家で特徴があるのかも知れない。
恥ずかしながら年取りに有徳人に毎年米と小袖古着を貰うのだが、今年はなかなか沙汰がないから、まずご機嫌伺いに行く。いつもならばすっと頂けるのに、今年は一石の半分の半分、つまり四分の一石。最初は忘れた小袖古着も、やっと貰える。それをどうやって持ち帰ろうか。米は重くて持ち上がらない。その仕草が、間違いなく舞台上のはそんなに重くないのに、本当に多く見える。よろよろと。小袖も米俵に載せて。女を追うように見せる。見栄。「俵藤太殿のお娘子、米市御寮人」という評判の美女にあつらえる。
途中で、若者達に見つかって、酒を酌して貰おうと願うが、何だかだと言って、見栄を張りつつ、断って、喧嘩になってしまう。八十三歳の東次郎さんの棒を振り回しての喧嘩シーン。最後は、米市ではなくて、俵とそれに被せた小袖だとバレて、馬鹿にされる。
それで残されたシテ男は、今度は、しっかと俵と小袖を担ぎ上げて、これぞ年取りには大切なモノと言って下がる。
こういう様々な動作、心理描写、さすがに人間国宝山本東次郎。
いずれも、連続でお疲れで、病み上がりで、ちっと寝てしまったが、それでも素晴らしい舞台でした。
どうして、みんな観に来ないのだろうか、と不思議。勿体ない。
申し訳ないけど、野村又三郎家の、素人演劇とは全然違う。