12月8日(日) 横浜能楽堂

狂言組  和泉流野村又三郎家

お話 野村又三郎

『福の神』

   シテ(福の神)松田高義 アド(参詣人)奥津健太郎、、健一郎

(休憩)

『止動方角』

   シテ(太郎冠者)野村又三郎 アド(主)野口隆行 アド(伯父)藤波徹 アド(馬)野村信朗

 

野村又三郎家だという。和泉流には3派あって、その内の野村派の宗家だそう。名古屋で活動らしい。野村万作家は、同じ和泉流でも、三宅派だそうで、派が違うらしい。

だからどうなんじゃい。歴史ある家格なんかい。お話の中に、そんなことを散りばめて。他にセールスポイントないんかい。

なんでも、先代の又三郎は、13年前に死去してしまっていて、現世又三郎は、まだ30代かという若さ。先代は偉かったんだろうね。上手だったんだろうね。息子にも、弟子にも芸の継承ができないままに亡くなってしまって。

芸の継承とお家の継承はまったく別物だな。難しい。

 

野村又三郎家が、上手ならば良いんだけど、素人劇か。声も立ち姿もピシッと決めんかい。眼を泳がすな。

 

『福の神』のシテも、ちっともありがたくない。福々しくない。アド参詣人の若い方、奥津の息子か、声が出ていないし、フラつくな。素人狂言劇の方が、もっと腹からの声が出るし、自分で楽しそうに演ずるやいな。

 

『止動方角』ご存じ曲だけに、下手さが目立つ。馬との呼吸も合わない。なかなか難しい曲で、なかなか出ないだなんて言い訳していたけど、又三郎家が自分でできないだけじゃないのか。

まったく、素人劇。

 

芸の継承は難しい。位のあるべきお家だからこそ、大変さはわかるけど。弟子がダメな上に、当主ができない。あのくらいのお家になってしまうと、相当腰を低くして、和泉流ならば和泉流の他家に、教えを請わないと。和泉流野村派、なんて言っている限り、他家も、表面上は立てるだろうけど、ダメだありゃ、となる。

狂言というモノそのものを落とし入れてしまう。お家断絶するか、その息になって、立て直せるか。