11月17日(日) 矢来能楽堂

見どころ解説 観世喜正

仕舞 『千手』 観世喜之

    『頼政』 観世喜正

狂言 『船渡聟』 (和泉流 野村万作家)

  シテ(船頭・舅)野村万作 小アド(姑)石田幸雄 アド(聟)飯田豪

(休憩)

能 『俊寛』 (観世流 九皐会)

  シテ(俊寛僧都)小島英明 ツレ(平康頼)坂真太郎 ツレ(藤原成経)桑田貴志 ワキ(赦免使)福王和幸

  アイ(船頭)内藤連

  笛:一噌隆之 小鼓:幸正昭 大鼓:安福光雄 地頭:観世喜正

  面:俊寛、だと思う。

 

矢来能楽堂。行ってみたかったから、内容に関わりなく参加。神楽坂なんて行ったことないじゃん。

建物は古くて、道路から続く通路の入口には、「矢来能楽堂」の表札と並んで、「観世喜之」の表札もあって、自宅も兼ねているんだと。

見所も面白い。席数は多くなく、適切な感じ。自由席に申し込んでいたが、自由席は、中正面奥の方の、靴を脱いで上がる畳の部屋に椅子を並べてある。席に高低差があるので、後方でも、この畳席でも見学に支障はない。却って、前方より良いかもしれない。

観世喜之家は、矢来観世家とも呼ばれて、52世梅若六郎の養子となって53世梅若六郎だったが、実子が産まれたこともあって、離縁となって観世に復帰して、観世喜之家(九皐会)として一家をなした、らしいが。観世銕之丞家((銕仙会)の分家。観世銕之丞家自体が、観世宗家の分家だから、分家の分家で、梅若六郎家(梅若会)ー観世宗家のツレ家ーとも縁が深い。

同じ観世流とは言え、GINZA SIXに集まるような観世の人々とは違って、建物も見物人たちも、もっと近しい感じがする。

 

観世喜正師の解説は勉強してきていて、メモを見ずに、日本史を語るよう。仕舞や能の歴史的背景まで含めて話してくれて、為になった。能を見る目が違ってくるし、この様にお勉強しなければ、謡でも感情が入った謡い方はできないのだろう。

 

仕舞2曲は、矢来観世家のトップと、次代。喜之師は、お年を召されていて、声も震えるし、舞も張りが少ないように。引き換えて喜正師は、声も出ていて、舞も大きい。はっきりしている。梅若紀彰師と近いと思う。親近感がある。

 

狂言『船渡聟』は、何回目だろうか。和泉流なので、酒好き船頭がイコール舅で、船を揺らして酒を飲んでしまうのだが、後でバレて、面目ない、で終わる。

野村万作。88歳とは思えない演技で。さすが・・、人間国宝。酒をねだるフリ、船を揺らす仕草、バレまいとする様子、バレた後のうなだれ。一流の狂言師ではある。

 

能『俊寛』はライブは初めて。ユーチューブに観世寿夫シテがあって、これを何回か観た。

物語はご存じ。歌舞伎や文楽の元になっているが、お能が一番俊寛の寂しさ、苦しさ、驚きを現しているのではないか。

そういう場面の、俊寛面を付けたシテの、微妙な顔つき、動作が心にしみ、いざ、船が出ようとする時の大きな動きも、意味が良く伝わる。船が出てしまった後、シテ俊寛が諦めたように、諦めきれないように、ゆっくりゆっくりと橋掛かりを下がっていく。

舞が無いお能だけど、詞章はわかりやすいから、良くわかる。

 

アンケートを初めて書いて、大変に満足したと書いた。

素晴らしい舞台だったと思います。