11月6日(水) 国立能楽堂
狂言 『磁石』 (和泉流 狂言共同社)
シテ(すっぱ)佐藤友彦 アド(田舎者)鹿島俊裕 アド(宿屋)今枝郁雄
(休憩)
能 『野宮』 (喜多流)
シテ(女 六条御息所)香川靖嗣 ワキ(旅僧)殿田謙吉 アイ(里人)三宅右近
笛:一噌幸弘 小鼓:観世新九郎 大鼓:國川純 地頭:友枝昭世(人間国宝)
面:前も後も、増
『磁石』初めて。狂言共同社も初めて。こういう狂言団体があるのも初めて知った。
喧嘩をして故郷(遠江の見附)を追われたアド田舎者が、熱田を過ぎて、近江の松本の市(大津市か?)にやってくる。それをシテすっぱが騙そう近づいてくるが、人売りの宿に案内して、売ってしまおうと。それに気づいたアド田舎者が、逆にすっぱを騙してしまうというお話し。すっぱが逆に騙される。
お話しとしては、面白いのだろうけど、集中できないのは、役者が、一通りきちんとした演技をするだけだから。名古屋で中心に活動しているらしいが、やはり、有名どころの山本東次郎とか、野村万作、野村萬、茂山千五郎達とは、レベルが違うような。
『野宮』も、初めて。
地頭に喜多流人間国宝の友枝昭世が出ていて、舞台は、それだけで、気迫がこもっている。大鼓の國川純さん、何だか久しぶりだけど、ちょっと音に張り合いがなかったかな。
鳥居と小柴柿の作り物が正中先に出る。これが、精進潔斎の場である野宮と、葵上と車争いをしたり、光源氏と楽しい時を過ごした世界との、結界を示す。
前場、シテ女は、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり、橋掛かりから登場する。出ても舞台上でほとんど動かず、正中に居る。この静寂と静止が、緊張感を出していて、役者としての腕の見せ所か。
後場も、シテ六条御息所がゆっくりと登場。車争いを語るところでは、突然パッと前に出る。序ノ舞はあくまで優雅。優美。破ノ舞を経て、橋掛かりに向かうが、地謡が「火宅」と体言止めで謡い終わる。まだまだシテは橋掛かりの二の松あたり。まだまだゆっくりと揚げ幕に向かう。ワキも橋掛かりに到着する時も、まだ橋掛かりにいて、ゆっくりと揚げ幕から退場。この余韻。静けさ。
結界の小芝垣から、一歩も出られない。ゆっくりと、思い出の中だけで、成仏などできずに、輪廻の世界の中に戻っていく。執念ではない。そういうモノだ。諦め、諦観。旅僧に成仏を頼んだりはしないのだ。だから、後シテも泥眼面ではなくて、ずっと増面なのだ。納得の、面選択。
結構、重い曲だった。派手なところはなくて、あくまでも輪廻。良いんでないかな。