10月11日(金) 宝生能楽堂
狂言 『空腕』 (和泉流 野村萬家)
シテ(太郎冠者)野村萬 アド(主)野村万之丞
(休憩)
能 『井筒』 (観世流)
シテ(前:里女 後:紀の有常ノ娘)観世銕之丞 ワキ(旅僧)殿田謙吉 アイ(里人)野村万蔵
笛:竹市学 小鼓:吉阪一郎 大鼓:亀井忠雄 地頭:清水寛二?
面:前も後シテも小面(越智作)
『空腕』は初めて。「空」つまり偽り、空想、嘘の「腕」ということ。「腕」は腕立てで、腕自慢、つまり嘘の腕自慢のお話し。太郎冠者は、その嘘の腕自慢ばかりなので、主が懲らしめようと、夜になるのに、淀に鯉などの魚を買いに行けと、追い剥ぎが出るから嫌だというと、太刀を貸してやるから。東寺辺りで暗くなって、鳥羽の先で、暗闇におびえて、太刀をあげて命乞いしてしまう。この辺りの、暗闇の表現が、さすが人間国宝野村萬。
主が心配になって後を付けると、そんな調子でおびえている太郎冠者を発見。打ち据えると気絶。気がついて生きているとわかり、太刀をなくしたと気づくが、主の言い訳に戻り、立派に戦ったと空自慢。この自慢話も大袈裟で面白い。ホントに好い加減なヤツだ。実は、すっかり主には見抜かれているのに。
実は、この『空腕』、事前にユーチューブで大蔵流善竹家を見ていたけど、ちょっと違うな。更に、10月14日には、同じ野村萬シテで観る予定。アドは野村万蔵に交代するが。この違いも楽しみだ。
『井筒』は名曲だな。在原業平と紀有常の娘との恋愛物語。「伊勢物語」を題材としていて、有名な和歌も出てくる。そういう教養があったのだね。
在原業平と言えば、いろんなお能に、直接・間接的に登場する。この『井筒』とか『杜若』とか。一方、狂言では『業平餅』で、笑いものにされるし。貴族ではあるが文官ではなくて武官。中将。位は高く、歌の才能もあってモテモテなのだけど、貧乏だったのかしら。
前場のシテはほとんど動かず。こういう静止の状態は、実は大変なのだろう。銕之丞さん、パリ公演から帰ってきたばかりではないのか。
後場では、美しく、優雅で、ゆったりとした序ノ舞。
井筒を覗き込む様。水鏡に何が見えるか。紀有常娘の自分の姿ではあるまい。衣装や冠から、業平の姿だから、そこに業平が見えたか。但し、面は「中将」などではなく、「小面」だ。武官の姿形をした女人。ビビッとする。
観世の舞は好きだなあ。眠くならない。
派手な場面もないし、ストーリーも大したことはないのだが、名曲だと思う。
このブログを書いている時に、高校の同級生の訃報が飛び込んできて、ショックで落ち込んでいます。65歳。相当な役職を退職して、再就職して、食道ガンで手術して、1年くらい前に退院していたが。
人生どうなるか解らない。高等遊民。一日一日を大切に。日々是好日。あと何年こういう高等遊民的生活ができるか。