9月22日(日) 横浜能楽堂

狂言組

『法師が母』  シテ(夫)山本則重 アド(妻)山本則秀

   笛:槻宅聡 大鼓:大倉慶乃助 小鼓:田邊恭資 地頭:山本泰太郎

(休憩)

『月見座頭』  シテ(座頭)山本東次郎 アド(上京の者)山本則俊

 

茂山千作が亡くなった。74歳だと。あと1年くらい生きたら人間国宝になったかも知れないのに。8月に膵臓ガンが発見されて、わずか1ヶ月で逝ってしまった。あの満面の笑顔が思い出される。人間いつ死ぬか分からないなあ。

いよいよ、人間国宝山本東次郎家伝十二番も6回目。半分も過ぎてしまった。

野村万作の書「狂言を生きる」を読んでいて、その中に、平成19(2007)年に、「万作・狂言十八選」という企画公演があったらしい。この企画も、万作を意識していたのだろうか。

各流、各家の名人たち・・。

 

『法師が母』。酔っ払ってふらふらしながらシテが入ってくる。常の名乗りはない。諫める妻に悪態をついて出て行け、と。この妻はわわしく無い。泣きながら仕方ないと出ていくと、酔いが覚めて未練たっぷりの夫が追いかけてきて、さあ、一緒に行こうよ(閨に?)で、おわり。

いつの世も、男はみっともない。ワワシイ妻も、そんな夫を支えるのだ。

能仕立ての狂言。

 

『月見座頭』。3回目か、前回は6月に野村萬斎の座頭で観ている。前記の野村万作の本にも何度も取り上げられていて、万作もお気に入りで、難しい曲と捉えているようだ。東次郎も同様なのだろう。

万作は、この辺りのものである、と名乗るが、今回の東次郎は、下京のものである、と名乗る。上京と下京と微妙な差別があったらしい。万作はこの点は排除しようとしているが、東次郎はその差別意識を避けない。

野原で遊びながら、謡や舞を楽しむが、こういう遊びは公家階級の者で、下々の者では出来ない。ところが、シテ座頭は、盲目の中でも金持ちで、ゆとりの生活と知識人。一種の成り上がり者。上京に住む若公家としてはちょっと不満。

それが、最初の和歌に出てくる。アドの若者がとっさに口にしたのは有名な古歌。下京の者には和歌など解らないと思ったのだろうか。ところが、座頭は古歌であると指摘し、ならばと同じく古歌で応ずる。一瞬の沈黙を経て、笑い合うが。

座頭は盲目なのに舞を所望する。答えるが、解っておるのかい、という意識か。では、と座頭に舞を所望すると、盲目なのに出来てしまう。

この辺りの心理。差別意識と俺様意識。これが、終わりの意地悪に発展する。やられた座頭は先ほどと同一人物とは解らない。どういう訳か。いろんな人がいる者だと、被差別意識はないが、それは却って自意識につながるのでは無いか。

くっさめとくしゃみをして、座頭が退場する。ここには、みっともなさが表れるか。

 

万作の本を読んでいたおかげで、深く理解できたようだ。狂言は単なるコントではない。人間の深い心理描写があるのだ。そこが素晴らしい。能役者には求められない表現が狂言役者には出来る。コメディアンの特権と言えようか。

 

高等遊民。すでに、齢67歳。いつまでこの状態が維持できるか。一期一会。今を生きる。日々是好日。