6月21日(金)  国立能楽堂

狂言 『察化』(大藏流・茂山家)

  シテ(太郎冠者)丸石やすし アド(主)松本薫 アド(察化)網谷正美

(休憩)

能 『梅枝』(観世流・梅若)

  シテ(前:里の女 後:富士の妻の亡霊)梅若紀彰 ワキ(旅僧)福王和幸 アイ(所の者)茂山宗彦

  面:深井(前も後も)

 

国立能楽堂の定例会は、できるだけ行こうと思う。まず安いこと、液晶画面の詞章表示があるので鑑賞しやすいこと、施設が綺麗なこと。欠点はやはり交通だ。費用、時間、経路(座れない)。

 

狂言の『察化』は2度目か。「身乞い」の察化という、都に隠れも無きすっぱ(詐欺師)が太郎冠者のアホぶりにより、騙そうと思ったのに、却って迷惑とぼやきながら退場する。なんでも主の言うとおりに実行しようとして、度が過ぎる太郎冠者がシテだが、題名はすっぱ。

前回より、面白く感じたのは何故だろう。久しぶりに能yとセットの狂言で眠らなかった。

席を取った時は隣は空いていなかったのに、空席。かとおもったら、お能が始まると来る。前座の狂言は無視と言うことか。それはないでしょう。立派な能楽で、演者の技量は大したものなのに。ただ、お話しとしては複数回になるから、つまらないか。そんなことないのだけれど。

 

能『梅枝』。シテは、「初めての謡・仕舞教室」の師匠である梅若紀彰。それとわかって購入したわけではないが、事前にわかったのでそれが楽しみの能会になった。前回の教室(第4回)の時、同じ生徒も夫婦で行くと言っていたが、見つけられない。

ストーリーは、宮中の楽人同士の醜い争いで殺された夫(富士)の妻が、死んでしまった後の亡霊が弔いを頼む、夫の衣装を着て舞う妻の美しさ、というもの。これは、国立だから大して予習しなくても表示される。しかも、4回の教室のおかげで、詞章の謡も想定できるし、節回しなど、アルアル。舞も、やはり型の連続と変化ということがあって、アルアル。わかると言うことは、お能の興味の部分が増すと言うこと。

特に今回は、梅若紀彰先生。3歳くらい若いだけで、還暦をすぎては居るが、声が若くてはりがある。舞も大きくてはっきりしているようだ。鳥夫の遺品と思われる鳥兜(烏帽子?)や狩衣を着けて舞う後シテの「楽」は、足拍子も多発して、10分以上続いて、素晴らしい。以前ならば、眠くなっていただろうけど、4回仕舞を習うだけで、目はぱっちり。身を乗り出す有様。

還暦はすぎてはいるが、若さを感じる。野村四郎や梅若実といった人間国宝とは、貫禄は違う。迫力は違う。

今回は、図らずも、ストーリー重視路線から、詞章謡、舞重視路線が見えてきて、楽しい。

間狂言で、アイの茂山宗彦さんが、一瞬絶句した。初めて見た。楽人の名前を、富士と浅間と混乱したのだろう。狂言には後見がつくが、能の狂言方の後見はいない。あのまま絶句したらどうなるのだろうか、と心配。

来月も紀彰先生のお能がある。教室も楽しそう。更に、練習重ねるとどうなるかいな。昔は、お弟子さんしか能会に来ていなかったらしいが。