5月31日(金) 松山市民会館大ホール
副題に『光陰矢の如し』 ~少年老い易く 学成り難し~とある。
要するに、デビュー50周年も経ったので、ここらでコンサートという訳か。
MISIAのコンサートに引き続いて、まあ、そんなモノだろうかと考えて、関東でチケットが取れなかったので、わざわざ松山まで出かける。こういうの追っかけというのか。でも陽水は初めてだから、この類いのコンサートも2度目だから、追っかけというのは当たらないなあ。陽水は、まあ同時代で、売れはじめの頃からラジオでよく聴いていた。テレビには露出しないで、アフロヘアにサングラスで、孤高のフォークシンガー、というイメージの中でいた。
コンサートが始まってから思い出していたが、そういえばあの頃、写真も出ない本多勝一がいたなあ。朝日新聞の記者で、ベトナム戦争取材など、当時の朝日新聞の外信面は、署名記事で実に充実していた。本多勝一の単行本もたくさん出ていて、大学時代は愛読書というか教科書というか、ハマっていた。論争技術は本多勝一が教科書だった。イメージ的には、陽水も近いモノがあって、テレビの露出しないのは、ナニゴトか理由があるのだろう、歌の詩も意味深なのが多いし。
なんて、思っていたけど、実際はそんな深い意味などなかったのね。たまたま時代が反権力的だっただけなのでした。
陽水は、しばらく聴いていなかったところ、エレキギターで、ロック調に変わっていて、あれまあ、という感じだった。しんみり歌い上げるより、ノリノリで行こうという路線変更。
今回のコンサートは、客もMISIAのコンサートとは違っていて、開場の1時間前に行ったけど、誰も居ない。MISIAのコンサートのときの熱気はまったくない。開場時間になっても、並ぶのは、日フィルのコンサートの時の方が多い程度。年齢層は、MISIAと全然違う。爺婆なのだ。そうなのです。65歳以上でないと、身近な存在ではない。それでも、例えばブラタモリの主題歌を歌っていたり、大ヒットした少年時代など、それなりに若者に受けてはいるのだろうが、やはり、昔の陽水ではない、というイメージ。隣の席に、30歳代前半とおぼしきカップルがいたが、君たち、陽水、知ってるの?と言いたくなる年寄り観客。反対側の隣席は、70歳近い。
そうなのだ。陽水自身がもう70歳なのだ。年寄りなのだ。
トークも、娘の結婚式の話しやら、孫の話、好い加減なんです、と。途中15分の休憩が入るんだ。この休憩が好評なのです、と言い訳。最初は立って歌っていたが、もうこの歳になると疲れる、といって、高い椅子に腰掛ける。こういうことは、同年代にはアルアルだけど、若い観客はどうなのだろうか。
懐かしい歌が聴けると、一緒に口ずさむし、思わず老人性落涙。心もよう、帰れない2人。昔のアコースティックギターで歌われると、もう、ねえ。
現役引退して、昔の音楽を、昔行けなかったライブコンサートに出かける、こういうシチュエーションに、我ながら満足。ここまで仕事一筋だったんだから。若いときから行っておけば良かった、とは思わない。こういう年代になって、余裕ができて、昔を楽しむって、良くないですか。
でも、なかなかこの年齢が同世代の歌手でコンサートやっているの少ない。吉田拓郎、やっていないよね。その点、桑田は偉いか。
コンサートは21時15分頃まで。それから、郷土料理の店で夕食。鯛そうめん御膳。こういうのも、良い。MISIAのコンサートでは、退場で多くの時間がかかった。地方のコンサートも、高等遊民では、観光も兼ねて出かけて、楽しみ倍増ではないか。