エリート
で なくていい!
サラブレット
で なくていい!!
私は、ある程度 年をいってから僧侶の修行をしました
いわゆる、その道のエリートでもなければ、
エキスパートでも ありません
しかも 私は、修行時代、
何をやっても駄目な劣等生でした
お経を唱えるのもヘタでしたし
習字も きたない字でしたし
法話も 上手ではない
その時は、
本気で 僧侶には 向いてないと 感じました (ノ◇≦。)
やはり、十代の頃から 仏教の専門の学校に通い、
その道ひとすじで歩んできた人には、とても叶わない・・・
と、
ずっと、
思っていましたが・・・
が、
最近、
そんなことは ない\(*`∧´)/
と、感じるように なりました
いわゆるエリートコースを歩んだ人は、
その専門においては、他の追随を許しません
しかし、
その専門以外は、まったく弱いんです
私は、これまで、
様々な職に就きましたし、
バイトも 沢山しました
職を失ったこともあります
「 こんな経験している僧侶は、
あんまり いないだろう (`∀´) 」
これを、このまま生かせばいいんだ!
と、思ったんです
なので 例えば、私の法話は、
はなから、その専門的な定石や形式を無視した
おきて破りな内容です ( ̄▽+ ̄*)
お坊さんの間では不評です(笑)
でも、檀信徒の方からは 大絶賛なんです (≧▽≦)
その専門の道だけで生きてきた お坊さんには、
私の生み出す新しい感覚の布教が、
理解できないようです (^ε^)
さらに それが、
多くの人から高い評価を得ているという事実が、
どうしても納得できないようです(笑)
私は、その道 専門で生きてきた人よりも、
間違いなく、専門性は低いです
でも、社会経験が多様で、視野が広いんです
そう考えたら、
たとえ、その専門分野で叶わなくても、
自分独自の分野
自分独自のスタイル
を作ってしまえばいいんだ!
そう思いました
このブログも そうです
お坊さんの世界の暗黙の決まりごと、形式、捉われを、
完全に逸脱したものです
社会で実践を重ねた者でなければ、
書けない内容が ほとんどです:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
たとえ、お坊さんの世界で評価が低くくとも、
そんなの関係ありません
お坊さんの世界独特の
あ~しなければならない!
こ~するべきだ!!
的なことから 抜け出れば、
そこには、未開拓の新しい道が開けるのです
私は、エリートでなくていい、
名もなき雑草でいい
雑草が1番 強い!
この精神でいきたいと思っています
人の評価は 丸々うのみにしないで、参考程度にすれば、
いいのかもしれませんね!!
結局、その人 独自の考えや好みが混じってますからね ('-^*)/