鬼子母神(きしもじん)は、もともと夜叉神(やしゃがみ)の娘。たいへん暴虐で子どもをつかまえて食べてしまう恐ろしい鬼女でしたが、釈迦に諭され改心してからは、安産・子育の守り神として庶民の信仰を集めました。現存する豊島区雑司が谷の鬼子母神堂には室町時代の作と伝わる鬼子母神尊像が祀られています。
日蓮宗の法明寺の飛地境内に建つのが雑司ヶ谷鬼子母神堂。
もともと鬼子母神の木像は、雑司ヶ谷エリアにある清土(せいど)で1561(永禄4)年1月16日に掘り出されたもの。
今もその地(現在の文京区目白台2丁目14番9号)には、石碑とお堂が建っており、例年10月16~18日、盛大に行なわれる御会式(おえしき)大祭では、この清土の地が起点になっています。
1578(天正6)年に村人がお堂を建て、鬼子母神信仰の隆盛とともに1664(寛文4)年、現存するお堂が建立されています。
加賀藩主前田利常の三女で、広島藩主浅野光晟の正室・満姫(自昌院)の寄進によるもので、国の重要文化財に指定。
昭和54年に解体復元され、現在の姿に生まれ変わっています。
享保年間(1716年〜1736年)〜文化・文政年間(1804年~1830年)頃には、鬼子母神を信仰する人も多く、門前には茶屋や料亭が建ち並びました。
生活が安定し、物見遊山(ものみゆさん)を兼ねた参詣が増えたことが背景にはありました。(HPより)
無住寺院とはつまり空き寺のことであり、放置すれば伽藍(がらん)の崩壊や、犯罪を誘引するリスクがあると警鐘を鳴らしています。
寺が専業で食べていくには、少なくとも檀家数は200軒なければ難しいそうです。
特に地方では人口減、子供が都市に住んで墓を移すなどから檀家を確保するのが難しくなっています。
檀家が200軒以下であれば、住職が副業を持たない場合、生計を立てていくのは厳しいとされます。
後継者のいない寺や経済力のない寺は「消滅可能性寺院」に分類されています。
消滅可能性寺院の中には、嫁や婿を迎える経済的余裕がなく後継者探しを諦めている住職も多いといいます。
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