私は今小さな後悔をしている。
ついさっき、駅で乗り換えしようと歩いていた時、「すみません」と聞こえた気がして声の向く方を見ると、スーツを着た20代くらいのかっこいいひとが私の方を見ていた。
道を聞かれるのかと思ってノイズキャンセリングのイヤホンを片耳外すと、
「ナンパとかじゃないんですけど、凄いタイプだったので声掛けちゃいました。すいません、怪しいですよね」と。
私は何の迷いもなく
「すみません、ありがとうございます」
と話を最後まで聞かず、迷惑そうな顔をしてイヤホンを付けてその場を去った。
そして今私はほんの少しだけ後悔、というか時を戻してもう一度やり直したい、と考えている。
話は飛ぶが、最近私は初めてニューヨークに行った。そこで感じたのは人の温かさ。日本じゃ絶対に見られないような、たまたまレストランでそばに座っていた人や列の前後に並んだ人と、当たり前のように何気ない話をする。困っている人を見て見ぬふりなんて有り得ないような、すごくフレンドリーで温かい文化があって、私は心の底から素敵だな、私もそんな人になりたいなって思った。
日本人はシャイだから、同じような文化をつくることは難しいけど、私個人として、ニューヨークで見た人たちみたいに、カジュアルでフレンドリーな人になりたいと思ったし、実際に日本での生活で他人に手を差し伸べるハードルが下がって、そういう機会も増えた。
でもやっぱりそれは、自分の理想とするニューヨーカー像に近付こうと意識して成り立っている。
さて話を戻すと、
さっきの駅での状況で、アメリカ人だったら私みたいな対応は絶対にしないだろう。
「Thank youuuu!!.」と言って軽く立ち話をすることは自然だと思う。
私は彼の元を去った時、真っ先にニューヨーカーのことを考えた。私はなんてつまらない対応をしてしまったんだ。ただのナンパならそんなことは考えないんだけど、スーツ姿だったし、ちょっと疑ってかかりすぎたなっていう後悔と、もう二度と会わない人とせっかく話すチャンスだったのに、その機会を捨ててしまったことへの後悔。
まあ冷静に考えたら、マスクしてる人を見てタイプかどうか判断する人の気持ちは理解し難いんだけど、わざわざイヤホンしてる人に声をかける気持ちも理解しがたいから、純粋にどういうつもりなのか関心がある。
もしもう一度その時に戻ったら、「いやマスクしてんねんから目しか見えてへんやん!」とか、「めっちゃ怪しいけど嬉しいです、ありがとうございます」と言って、楽しくその場を去りたいと思う。お互いにハッピーな気持ちになれるように。
私がもしアメリカ人だったら、今日1人友達が増えていたのかもしれない。
いくら憧れても、意識して近付こうとしても、根っこからアメリカ人に染まるにはだいぶ時間がかかりそう。