早来駅からの~
早来軌道探索ツーリングに向かいます!
昔の航空写真だと、今の国道234の道路付近に、早来軌道の早来停車場が有ったようだ
室蘭本線と100mほど並走し、90度右に急カーブし現:厚真町方面に進む
厚真までは先人の方が調査されているので参考にする
早来停車場~中土場停車場
中土場停車場~峠停車場
峠停車場~チケッペ停車場
(今の厚真町本郷の辺りを知決辺(チケッペ)と言っていたらしい)
さて、先人の調査された方は、歩いてこの峠を越えたそうだがクロスカブで行けるだろうか?
沢と並行する早来軌道廃線跡
それらしい道になって来た
林道に並行して小さな橋が見える
怪しいけど3/4世紀前の橋が残って無いだろう~
早来軌道の遺構は何も残っていないと思っていましたが
中土場停車場 安平町文化財「馬鉄の道」の案内看板が~
こんな誰も通らない林道に、馬鉄の歴史の手がかりになる看板が有って嬉しい!
当時の、中土場停車場の写真だろうか?
枕木を積んだトロを引く馬の姿が見える
森を開発しようとしたが頓挫したのか?
峠に向かって勾配を上る早来軌道の廃線跡
窪地には盛土の跡がある
2個目の案内看板
峠停車場
早来から厚真に向かう山のサミットに峠停車場は有った
近くには、ふるさとの森、まったく手入れがされていない…
切通しが廃線跡の雰囲気を残す
2018年の北海道胆振東部地震の爪痕だろうか?
山肌が崩れ、この部分の林道も新しく作り直されている
峠を越え街に出て来ました、正面が厚真高等学校です
道道10と交差する辺りが、知決辺(チケッペ)停車場の跡
早来軌道のその後ですが、
1949年(S24)軌道廃止後
旅客はバス、貨物はトラックに切り替え、
1951年(S26)早来運輸株式会社と社名を変更
定山渓鉄道傘下の東急グループとなり紆余曲折
1991年(H03)(上の)現社名:あつまバス株式会社となる
知決辺(チケッペ)停車場~振老(フレオイ)停車場間(現:厚真町本町付近)ですが
廃線跡は畑に帰ってしまって痕跡は分からない…このラインが廃線跡だろうか?
振老停車場付近、街中には面影は無い
道道235、北進平取線と並行する廃線跡
近悦府(チカエップ)~西老軽舞(ニシオイカルマイ)
左が現:道道235で、右の胆振東部地震で廃道となった道が廃線跡
西老軽舞(ニシオイカルマイ)~富里(トニカ?)
富里地区では山沿いを抜ける
農業用ドローン、肥料か?薬剤?散布中
ドローンパイロットの軽トラが止まっている農道が廃線跡
「松浦橋」の銘板、旧橋の鋳物の銘板を剥がして新しい橋に付け直した感じ…
雑な取付、もうチョッとちゃんと付けるでしょう!松浦さんに失礼かも…
松浦橋のたもとには、土台に立て看板
「松浦武四郎之碑」は移転しました
移転先に松浦武四郎之碑を見に行きます
石碑の後ろの建物ですが、地域防災コミュニティセンターならやま
要は公民館ですね!
胆振東部地震の後、補助金関係が下りてる様でこの付近に立派で新しい建物が有る
地震で山が崩れた場所には砂防ダム
山の麓に有った家は押し流されてしまったのか?
終点の幌内(ホロナイ)です、農地化や河川改修が進んで馬鉄の面影は一切無しです…
早来軌道散策を終了し、幌内神社
神社横の柵を勝手に開けて(鹿避け柵なので勝手に開いてOKです)
先に進むと幌内墓地、墓地にはその土地の歴史が有るから参考になるのだけど…
古いお墓も有るかと思いましたが、墓仕舞いしたのか?どこかに引っ越したのか?
新しめの墓石が3家ほど有っただけでした…
幌内神社に戻って休憩
蜘蛛の巣一つない清潔なトイレと、冷たい水の出る流し、野営には最高のロケーション!?
幌内神社の横にも、幌内マナビィハウス 公民館兼、避難所です
こんな立派な建物を利用しないのは勿体ない気もする…
地域外の人にも、旅の宿泊施設として開放してくれれば私も泊りに来たい!
幌内神社で交通安全のお参りをしてからの~
先に進んで厚幌ダム
厚真川の支流に掛かる鉄橋
地震で崩れた山は復旧が進んでいる
さってと先に進んでもキリが無いので戻ります
早来のレストランみやもと
暑くなって来たのでソフトクリームでクールダウン🍦
ランチ代わりに、ブルーチーズソフト🍦
前はもうチョッとブルーチーズぽかったけど少しマイルドになった?
国道234と274で道の駅マオイの丘公園
買い物なんてする気無かったけど、摘果メロン(間引いた夕張メロンの子供ね!)見つけて買ってしまった…
皮向いて、半割にして、種取って、4%の塩のみで漬けてみました~
![グッ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/114.png)
本日の走行距離:146km