飯倉での再会と悲しみ | 子育て~夜遊び~お仕事

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東京の港区は「飯倉」の交差点近くに、ちいさな小料理屋さんが

あります。


18年前。数年お付き合いした女性と最後の食事をした場所でした。



まだ社会にでて数年の私。

彼女は1年社会人としては先輩でした。

2人は週末の夜は、大体「飯倉」で待ち合わせをして、一緒に遅め

の食事をしていました。

その彼女が地方勤務になると同時に、物理的な距離に勝てずに

別れることになったのです。




先日、六本木の芋洗い坂近くで仕事を終えた後、昼からなにも

食べていなかったので涼しい夜風にあたりながら、飯倉近くの

中華料理店を目指していました。


ロアビルを過ぎたあたりで、ふと声をかけられ振り向くと「彼女」が

にこやかにたっていました。


正直、一瞬だれかわからなかったのですが、面影の残る目元で

「!」となったわけです。





彼女は地方への転勤後、アジア地域での勤務を経て、昨年末から

東京本部の勤務になったようでした。


偶然にも飯倉近くということもあって、2人で懐かしの店で1杯やる

ことに。

お店は今でも健在で、女将さんは二代目になっていました。

20年近くぶりということもあって、最初は緊張感もありましたが、

懐かしい雰囲気と話しぶりに昔の空気に戻るまで、そう時間はかかる

ことはあありませんでした。



彼女は8年前に結婚したらしく、男の子のお母さんになっていました。

ご主人は転勤先で知り合った商社マン。

絵に描いたようなエリートカップルです。


その彼女に悲劇が襲ったのは、春先だったそうです。

ステージ3の子宮がんがみつかったそうです。

仕事も続けながら治療を、と望んだ彼女に症状は治まることなく進行

を続けたそうです。


一見、とても進行がんには見えない元気さだったので言葉を失い

ました。

もう彼女は余命を覚悟しているようでした。

小さな子供はまだ小学校低学年。


お互い、子供の親として考えることは同じです。

子供のため、夫のため。

自分の命を儚むより、残される人たちを案ずる気持ちの大きさに昔の

彼女の一面を垣間見たようでした。




医学の進歩は目を見張るものがある、と彼女はいいますが、神様は

そんな医学の進歩が追いつかない場所に何故彼女を置いたのか。


20年近い時間を経ての再会はあまりにも切ないひと時になりました。




●日本における子宮がん健診率はまだまだ低いそうです。

  是非、日本の女性が1人でも多く健診を受け、患者が逓減することを

  祈ります。

 (参考)http://uterus.web.fc2.com/