庭園巡り。先ずは、北から東北は青森から初めてみましょう。
青森の庭園といえば、大石武学流の庭園。特に津軽地方に残る明治の豪農、資産家の庭園。代表的なのは黒石市の金平成園、平川市の盛美園、弘前市の瑞楽園。金平成園は米の豪商、あとは豪農で資産家の庭園。
大石武学流とは江戸時代初期に都落ちした公家が在地の宗教観を取り入れた京風の庭園の一流と言われてますね。
また、津軽藩に雇われたあの山鹿素行の子が弘前城の三の丸で作庭したから「 武学」の名が付いたとする説もあります。
でも、江戸に遡る武学流庭園は存在せず、実際は明治に豪農や豪商が成長して資産家になる中で、京都への憧憬と格というものを求め、縁起的な説話として成立させたのではないかと思ってます。
それは、応仁文明期ならわかるが江戸時代初期に公家が都落ちすることは稀であること。主要な構成要素の山灯籠が京都のそれではなく、ほぼ春日灯籠である点などが挙げられます。明治の資産家がステータスを求めて、名門山鹿家の威光を借りたのか?
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金平成園
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盛美園と瑞楽園


幕末から戦前にかけて、東北地方、特に津軽地方は凄惨な飢饉に幾度も見舞われたことは教科書にも大根をかじる子供の写真とともに紹介されていますが、これらの庭園が作庭されたのは、ちょうどこの時期。
それぞれの庭園では、この時期の雇用対策でもあったと解説がされていました。
武学流は二方向に伸びる飛び石が特徴で、一方は手水鉢へ、もう一方は遥拝石に伸びます。遥拝石は人が乗るものではなく、あえて天端が凸凹になっているとのこと。
よそから来た人間は、必ず乗り、少し後悔します。
植栽は地元のもの。近代の資産家の庭園らしく巨大な石造物が目立つ。このような石造物の巨大化は、武家、特に大名はするようで決して
しない。よくある誤解だ。
金平成園は2014年10月
盛美園と瑞楽園は2016年8月