当方は雨です


少し前は

暖かいインナーとか

むしろ皮膚がかゆくなったりで

あまりこのまなかったのですが

一度着たら

やめられない!


超のつく極暖とか

もう手放せません。


みなさまも暖かくしてお過ごしくださいね


あしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあと


動物でもなんでも

命あるものは

いつか

お別れを迎える


医学が進歩し

治る病

治らないまでも

病とつきあうことができ

長く生きることができるように

なりました


だからこそ

いまいちど

生きることを

考えたいとおもうのです


ジロウを介護するなかで

ほんとに、色々かんがえました


食事について

排泄について


無理にたべさせなくてよい、って

伝えることが多いのだけど


生きるとは

生きる意味とは

だれがきめる?


自分でなければと

思うのです


周りの人は

てだすけをする、ささえる

でもきめるのは

自分であれるとよいのではないか



あしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあと


ジロウになんとかして

たべてもらおうと

手を替え品を替え

食べてくれないかなぁ、って


あーごめんなさい


なのに

ごめんなさい

色々にごめんなさいって

思ったんだけど。


無理にたべてもあぶないことや

栄養とらないからってすぐにってことも

ないこと

わかっているけど。。


やっぱり

食べることは生きることとつながる

そう感じるんだよね


せっせと口にはこびました

スプーンだったり

手だったり



ジロウは

どうしようとも

自分のリズムでしか

口にしなかった


無理にはたべず

自分のリズムで食べられるときに

たべた。


もう少し、と差し出しても

くちをとじて食べず


しばらく葛藤したけれど


命をきめるのはジロウで

わたしは手助けしか、できない


ならば、工夫はするけど

無理強いはしない

そうきめました。


ジロウは

食べなければ

死んでしまうのではないか、とか

食べないと、飼い主にわるい、とか

そう理論的に考えることは

なかったのだろう


ありのままに

ありのままに

素直な欲のままに

食べた

生きた



いつかおわりがくることを

あきらめられなかったのは

みとめたくなかったのは

わたしだったのかもしれない


永遠に

いのちが永遠に


誰もの願いかもしれない


でも

でも


だれでもいつか


からなず

おわかれするときがくる




だから

生きているいまを


いかに生きるか




いのちは

急におわりをつげることがある


病があるなし

老も若きも


肝に銘じて生きていこう

明日やろう、は

できないかもしれないのだから

病をえたら

恥ずかしいことなのだろうか

薬をのんだり

酸素や車椅子をつかうことは

恥ずかしいことなのだろうか


であっても

あなたは

わたしは

なにもかわらない


ジロウは

最期までジロウだった