スッキリ目覚めました
眠れない〜なんて思っていたけれど
眠ってしまった
少し今いろいろ大変なことがあるので
体は疲れているのか
朝起きたら
ジロウもこんな格好で熟睡
よいこと
こまちはうどん犬
安定の丸まりかた
短い文章では
書ききれないので
端的に記すと
誤解される方もあるのだな
言葉は難しい
感性を研ぎ澄ませようと思います
透析をやめるということは
とても重いことです
それは重々承知しています
透析をやめたい、と相談いただいても
実際に透析をやめることになったかたは
いらっしゃらない
私の思いです
これは人間として
もはや透析をされていることもわからない
ただ眠っているだけ
食事の時は目をつむったまま
口を開ける
排泄も自力ではできず
肛門に指を入れてかき出され
当然尿は出ない(透析してるから)
透析すると血圧が下がるから
血圧を上げるための薬を入れながら透析して
正確には最後10ヶ月は家で過ごすことは難しくなり
療養型病院に入院させてもらっていた
透析に通うことも難しくなったから
入院しか選択肢がなく、心地良さそうな
施設も見つけてはいたけど
移動が困難ということで
難しいと判断された
亡くなる10日前
病院に行った
もう屍にしか見えなくて
辛くて直視できなかったけれど
それでも
語りかけながら考えた
これはもう透析をするしないではない
人生の終末期だ、と。
私は医学的に判断した(のだと思う。
それが命を終わらせるなんて
医師らしからぬ考えかもしれないが
その時はそう思った)
家に連れて帰ってあげたい
しかし
主治医は
コメントにいただいたような言葉を
私に言った
”あなたがお母さんの命を決めることは
できない”
”お母さんの透析はちゃんとできている”
もちろん
その返答が来ることは
予想できたので
それ以上は相談せず
でも
もう旅立つのだろうな、と
わかった
もう十分看病した
もう十分介護した
さまざまな葛藤がある中で
じぶんの気持ちを飲み込んで
これまでやったんだ
そう思える一方で
もっといろいろすればよかった
仕事を辞めてでも看病すべきだったかも
なんで入院させちゃったんだろう
(透析を続けるためには入院しかなったのだけど)
私のせいだ
私がいい娘じゃないから
etc
家族がいたから
涙を流さないように
堪えながら
車を運転した帰り道
そして
その10日後
静かに一人で旅立った
やっぱり一人で
旅立たせてしまった
涙は出なかった
ただただ
ひどい頭痛に
見舞われていたことは
忘れられない
母が旅立つ前に
私に与えた
罰だったのかな
孫悟空の輪っかみたいな?
ご気分を害されたら
すみません
私は父と母の旅立ちを
それぞれ
見送りました
それらから学んだことが
今に繋がっています
透析はとても進化し
負担がないようになっています
透析を行いながら生きることができる
とても大切なことです
そして
社会もそれにもっと順応するように
進化している
現在透析を行なっている方が
落ち着いて過ごせる
そんな毎日を願います
透析しながら
あんしんして過ごせる
そんな社会を作らなければなりません
私の記事は
あくまで
私が人間として
人生の終末期にあった母に対しての
生きる意味を
考えた、というだけのものです
本当誤解させちゃったことは
謝りますね
さ、今日は少し早く出勤!!
がんばろ〜