「ロウソク思ったより短い」


「バーっと燃えずに少しずつ燃えて」

「最期までもえたよね」



「もっと長いと、思った」


「ありがとう」





ロウソク

肺がんで治療していたが

骨転移、肝転移が制御できなくなり

だんだん身体が辛くなり

がんの治療を続けるかどうか

相談していたとき


痙攣をおこし、救急搬送

脳転移と判明



緩和ケア病棟で過ごし

放射線治療をおこない

症状は改善



ある日


ロウソクのながさは

あとどれくらいだろうね、と



つぶやいた




「ぼくのロウソクのながさは

あとどれくらいだろう?」

「ふーって強くふいたら

おわってしまう」


「ゆっくりゆっくり燃やして」

「全部燃やしきりたい」

「ふきけされないように、守って」



あしに軽い麻痺があり

生活に不自由を感じていた


自宅にかえることを躊躇していたが



「なにか、がおきるのが

家とはかぎらないし」

「どこにいても何かはおきる」



「じゃあ、家で、みんなに

挨拶してきたい」



「家にかえるよ」


「悪くなったらまた来るから」


「緩和ケア病棟に入ったら死ぬまで

退院できないぞって、兄貴にいわれていたけど」


「退院できるんだ!」



笑顔で退院


一週間ずつ外来に


「まだロウソクはもえてる」


次の、次の一週間ずつ

通院



3か月経過したあと


再入院した



「家はよかった」

「でももう限界だ」


再入院してからは


ロウソクが少しずつ

よわいともしびになった



旅立ちの数日前からは

意識障害もでて

夢とうつつをいったりきたり


それでも

家族や医療者の前では

ありがとう、ありがとうと

感謝の言葉を繰り返した



ある日


意識がはっきりして

何日かぶりに

アイスを口にした

おいしそうに


そして



「ロウソク思ったより短い」


「バーっと燃えずに少しずつ燃えて」

「最期までもえたよね」



「もっと長いと、思った」


「ありがとう」




それがさいごの会話



私達も涙があふれた

泣いちゃいけない、けど

とめられなかった



長いロウソク探せなくて

ごめんなさい


わたしのロウソクもいつまで持つか

誰にもわからない


でも

その時がきたらまた、会いたいです


それまでは大事に生きていきます



震災から10年


わがやの3月11日

母が倒れた日

わたしは救急外来で

待っていた

揺れたとき介護疲れで

めまいかと思った

あれから10年

もっと優しくしたかった

もっと話したかった

いまなら母の苦しみ

すこし理解できる


いずれ私もいきます

震災で旅立ったたくさんの命

遺されたもの達を

見守っていてください

いずれは、みんないきますから