朝おきても外が真っ暗

寒いですよね・・・

 

中国出身の患者さんに

「寒いですね」と言ったら

「せんせ、こんな寒さで

根をあげたら、中国は

もっと寒いですよ」

 

たしかに・・・

ごめんなさい・・・

でも、寒いのだ・・・・

 

 

この寒さもあってか

今日は早く目が覚めた

もうひとつ理由がある

 

実母の命日だからかな

 

昨日病棟で旅立った患者さんを

見送りながら

なんか、ふっと

思い出して

 

その患者さんのご家族から

「もっと色々やってあげればよかった」

「生きているときはほとんど

会っていなかったんです」

という言葉を聞いて

思い出したのかな?

 

 

もう10年たとうとしてる・・・

 

早い

 

つらかったことも

たのしかったことも

 

だんだんうすれていくんだな

 

 

腎不全

人工透析

心不全

病気のオンパレードのように

様々なことがあった

 

その日の朝

主治医(そりがあわなかった)から

「おかあさん、おねつがありまして〜」

「しーてぃーというけんさを〜しましたが〜」

「べつになにもありませんでして〜」

「インフルエンザをうたがって〜

けんさを2かいしましたら〜」

「ようやくいんふるえんざとわかりまして〜」

 

「タミフルをのんでもらっています〜」

 

あれ?ご飯飲み込めなくなってたのに

タミフル飲めるの?ですか?と質問すると

 

「ぼくは〜みてないので〜

わかりません〜」

「かんごしに〜かわりましょうか〜」

 

あ、いいです。夕方になってしまうけど

病院によります

 

「はい〜」

 

でもこの前具合悪そうでした

なんだかすこし心配です

 

「でも〜おしょくじもとってますし〜」

「おげんきです〜」

 

なんとなく違和感??

 

電話をきった

なんとなく違和感、第六感

 

こういうかんはあたる

(でもあとから気づく事もおおい)

 

落ち着かず

仕事をしながら

でも、その日にかぎって

ばたつく。

 

夕方に早く帰りたいと思っていたが

急患にて断念

 

それでも猛ダッシュで帰途に

 

 

そして

なぜか

 

なぜか

 

母の入院する病院の方への道でなく

 

自宅への道に向かってしまった・・・・・

 

 

あ!と気づいたが

 

なぜか、ま、いいか、

一旦家に帰ろう、と

家に帰ってしまった

 

ものすごく寒い日で(中国ほどではない)

頭痛もひどくて

家にかえってソファーにたおれこんでしまった

 

たぶんうとうとしてしまった

 

携帯が鳴ったのにも数回気づかなかった

 

そして

 

は!ときづいて

でた電話

母の病院から

 

「おかあさんの容態がかわったので」

「夕飯は食べたんですが

その後急に」

「来て頂けますか?」

 

飛び起きた

こめかみがずきんずきんとするけど

 

そして

なんで病院によらなかったのか

もう心臓が口からとびでそうになるくらい

後悔しながら

 

車で走った

 

走った

 

病院につくと

個室に案内された

 

すっぽんぽんの身体に

タオル一枚がかけられ

窓が全開

 

ああ、そういうことか

 

主治医が(もういちどいうけどそりがあわない)

 

「ゆうしょくは〜たべたんですが〜」

「そのあと、おうとしまして〜」

「きゅうに〜、こきゅうを〜されなく

なりました〜」

 

もういいよ・・・

わかった・・・

 

携帯電話をおもむろにとりだし

「なくなられてます〜」

 

床にすわりこんじゃったのを

覚えてる

 

くらくらしたわけでもない

自分を悔いたけど

それでも10年以上の母の闘病を

支えたんだから

もういいよ

お疲れ様

 

 

しかしな・・・

家族の到着(電話から10分くらい)の前に

すっぽんぽんで

タオル一枚?

窓全開?って

 

いくらなんでも

 

死亡確認の前に死体扱い??

 

 

最後の最期に不信感をかため

むりに食べさせなくていいのに

食べさせたのかとか

色々考えたけど

窒息じゃないかって今でも

思ってるけど

 

それでも

もう母にこれ以上苦痛を与えたくなかった

 

ありがとうございました

頭を下げた

早く帰ろうね。

 

 

病院は別の意味で

とにかく早く退院させようと

何時になりますか?

何時のお迎えですか?せかすせかす・・

 

ごめんね

やっかいな患者で

夜の時間で

 

そんなにめんどくさそうにしないで

 

それでも

退院のとき

いつも声をかけてくれる看護師さんが

 

その日は担当じゃなかったらしいけど

 

「娘さんも大変でしたね」

「おかあさん家に帰れますね」

「お疲れ様でした」って

走ってきてくれた

 

そのことばがなかったら

今の私、ないかもね

 

旅立ちの日の母は

とてもきれいだった

おつかれさま

いってらっしゃい

また会おうね

 

私と妹の間にいる

二人の子ども

この世に生きられなかった二人の子の

遺骨を

両親はずっと仏壇に遺していた

 

今は父と母とその子達で

眠っている

 

 

ああ,今日もきっと

頭痛の日

 

精一杯働いてきます!!

 

いってきま〜す

 

image

にしても、ね

あの主治医はどうしても

母に赤ちゃん言葉で

話しかけるのが

一番信頼できなかった点

 

コメントにもいただいて

ほんとに合点

 

赤ちゃん言葉は

親しみとは異なるよね

ため口のほうが

まだ

赤ちゃん言葉より

いいよ

 

そして

しんさつのときね

携帯の時計で

死亡確認したの

 

ほんとだめ

人をなんだと思ってるんだ

それでも

その人にたくすしかなかった

 

でももう思い出

自分の教訓にしています