もし・・・だったら、
そうかんがえたりすることは
だれにでもあるはず
もし、もっと早く病院に
行っていたら
もし、病気になっていなかったら
だれだって
きっとそう考える
”もしも”
もしもって考えてしまうのは
人は人生一回きりだからだろうな・・・
50代の胃がんの患者さん
バリバリに働き、
マラソンに、水泳に
とにかくスポーツマンだった
中年と言われる年になってきて
少し太ったからと
ダイエットを始めた
すると
予想以上に早くやせた
とても早くやせた
効果的にやせられているのだと
だれも疑わなかった
それが
病気のはじまりだったなんて
だれが気づいただろう
”もしも”
その時に病院を受診していたら
妻は後悔がとまらない
「あのとき」
「やせすぎていくことはきになっていたのに」
どうしてあのとき
それはどうしてもぬぐえなかった
手術をして再発転移したとき
やはり話はそこにもどる
”もしも、もしも”
”あのとき私がきづいてあげていれば”
「首に縄をつけてでも
つれていけばよかった」
「涙がとまらないよ・・・」
「悔しい・・・」
悔しい
悔しい
取り返せないから悔しい
でも
その時
患者さんが妻に伝えたの
「ぼくはおとなだよ」
「自分だっておかしいって思っていたのに
病院に行かなかったんだから」
「きみのせいじゃないよ」
「もっというと」
「だれのせいでもなくて」
「きっと運なんだよ」
そうですよね、先生?と
私そのときどんな顔していたんだろう
かなしみと
やるせなさと
いろいろに複雑な
そんな顔をしていたかも
そうですね・・・
だれのせいでもなく
なにのせいでもない
くやしいけど
つらいけど
私はだれになんといわれようと
支えさせて頂きたい
そう伝えた
「だよね」
「だれのせいでもない」
妻はその後“後悔”を
口にすることはなかったけれど
最期緩和ケア病棟で過ごし
旅立ったとき
「やっぱり後悔しちゃってるかもしれない」
「それでもここで過ごした時間で
一緒にすごせたことで
最期を見届けられたことで」
「ほんの少し後悔は減ったと思う」
力強く生きていくね
落ち着いたら私もマラソンを再開するわ
後悔
生きている限り
なにかしらの後悔は
残るんだろうな
私もある
後悔・・・
それでもそれを抱えながら
生きていく
緩和ケア病棟は
そういう家族の後悔も
少し減らすために
あるのだと思うよ
受け止め方も
感じ方も様々
それでもそれが必要な人は
あるはずだから