このときの患者さんに

なぜ鎮静を行わなかったのか・・・

 

夜間の睡眠確保をしっかり行うようになってから

日中の苦痛もかなり軽減した

 

日中は家族のよびかけに

うなずき

ごく少しの水分を口にしながら

時に薬も使用して

苦痛は和らいでいた

 

しかし

本人をみていると

何かしらの苦痛があるように

 

私が伺うと

手を合わせ、なにか口を動かす

 

”もう終わりにって思ってますか?”

 

こくこくとうなずく彼女

娘さんと私も目をあわせる

 

 

すると息子さんが

 

「やめてよね。眠らせるなんてやだよ」

「夜はまだいいけどね」

「昼間はいやだ」

 

 

「どんなに母が言おうとも

ボクはやっぱり納得がいってない」

「もし鎮静、っていうのをやって

そのままってことになったら

訴えるよ」

 

鎮静と安楽死はことなることをお伝え

したが

 

焼け石に水

 

「ふうん・・・」

「母はもうよくわからなくなってるんですよ」

 

「終わりにしたいとかって

よく言えるよね、医者が・・・さ」

 

 

 

「とにかく鎮静はいやですから」

 

「知り合いに弁護士さんもいるしね」

 

 

鎮静は死にいたらせるものではないことを

十分に理解しているし

家族と本人と話し合いも行って

本人の苦痛を軽減するために

必要な選択肢

 

だけど

 

やっぱり家族は躊躇する場合がある

 

あからさまに問われることもある

これのせいで亡くなったのではないですか?と

 

鎮静をおこなうことのメリットが

鎮静をおこなわないことよりも大きいとき

 

命に限りがみえたときに

選択される治療法

 

どうしようもなく苦しい、つらい

そんな時間をいたずらに延ばすことが

よいこととは思えない

 

つらいのはだれ?

 

 

そう思ったとき

優先されるべきは患者さん

患者さんのつらさ

 

 

究極をいえば

患者さんが鎮静をのぞめば

 

鎮静の要件を満たしていれば

実施できる

 

 

この患者さんは

鎮静について理解され

最期希望したけれど

 

 

結局

実施しなかった

 

 

息子さんも訴えることは

なかっただろうとは思う

 

けれど

 

そこまで思う気持ちに

逆らうこともできなかった

 

自分が弱いのか・・・

信念があるはずだけど

知識ももっているはずだけど

 

なぜか

 

その時それ以上すすめなかった

 

夜間の休息をはかるだけで

苦痛は軽減しっていたことは確かである

 

 

けれど

 

 

私はちくりと胸が痛むのだ

 

 

患者さんは

本当は

くるしかったのではないか

 

 

いたずらにがまんさせてしまったのではないか

 

 

 

今も思う

 

そっと謝った退院の時を

 

 

本当に難しいなあ

 

答もみつけられない

 

 

それでもこの仕事を

続けていく

 

 

それはゆるがない

 

 

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にてるけどこっちはジロウ