肺がんの患者さん

 

コロナの影響もあり

面会制限をしていたときでしたので

家族は

あまり本人の状況をしらなかった

(おみまいもできなかった)

 

だから

病院でいるときのADLが

よくわからない

 

看護師さんは

そのあたりをよく知っているけど

 

入院中医師は案外

横になったままの患者さんを

診察していることが多いので

あまりどれくらい動けるかしらない

会話は横になってならできるからね

家に帰ったらトイレも

食事も

風呂も

みんな家族がってことを

医師もしらないといけないんだな

 

なので

そのあたりをうまく伝えないと

つたわらないこともわかった

 

患者さんの家族は

悪くなっていないことを期待するから

食い違いが生じる

 

 

退院調整の看護師さんが提案してくれた

 

「一度外泊してみたらどうですか?」

 

不安しかなかった患者さんの家族

それでも一度は家にって考えていた

そりゃあおとうさんの気持ちをかなえたい

 

「一度やってみます」

「それでうまくいったら考えます」

 

本人

「むりだと思うよ・・・」

「看護師さん二人がかりだもん」

「無理だよ」

 

 

患者さんの思いを尊重することはとても大事

でもそれを支える家族の気持ちも大事

 

 

一度外泊にいった(いつでもかえってきていいよ、と

伝えて)

 

 

無事に予定通り外泊を終えて帰ってきた

 

息子さん第一声

「無理です!!家はむり!!」

「父も苦しそうで」

「家にかえらせたいのは家族で過ごしたいから」

「別に家じゃなくてもいいんです」

 

 

「父に苦痛を感じさせるために家に帰っただけでした」

 

「付き添いのできるカンワケア病棟に」

「父が苦しくないようにしてください」

 

 

無理をして家に帰らなくてよかった、と感じた

 

一方で

 

家に帰るようにするにはどうしたらよかった

を考えた

 

 

時期を逸したのかもしれない

(体調がよくなるだろうとふんでいた主治医と

これはよくない、と感じていたカンワケアチームの

判断に大きな差があった)

 

もう少し動ける時に

希望をかなえるために、なにかすべきだった

 

息子さんは言った

「カンワケア病棟は父にとって最期の場所に

なるかもしれない」

「でも父が辛くなく過ごせるように、家族も

一緒に付き添えるんだよとつたえたら

父はそれがいいって」

「もっとはやくカンワケア病棟にいけばよかった」

 

患者さんは言った

「カンワケア病棟で友人を見舞った」

「みんな死んでいった」

「ぼくも死ぬんだな」

 

 

そうなんだけど・・・

どこで死ぬかも大事だが

どうすごすかも考えていいと思う

 

カンワケア病棟のイメージは

やっぱり死

 

 

でも人はみんないつか通らないといけない

 

せん妄などが生じると一般病棟だと

抑制をしたり、することも多い

 

でもそれは尊厳を守れていない

 

もちろん安全も大事

 

カンワケア病棟ではせん妄は一つの症状に

すぎない、とみんな知っているから

 

何がおきてもどんとかまえて

受け止める覚悟はある

 

 

どこにいっても死をむかえるなら

どうすごすかかんがえてもいいんじゃないだろうか?

カンワケア病棟にいくことをかわいそう、って思ってるのは

医師のような気がするんだ

 

 

さけられないのなら

生ききりたいよね