安楽死の報道からおよそ1日

 

SNSでは

安楽死がいい、悪いという論争と

 

患者さんの死ぬ権利があるんだ、ということと

いやいや生きるべきだ、ということ

 

善か悪か

 

その二者択一で論じられている

 

「苦痛があるのだから、患者さんの願いを

かなえるべきだ」というご意見が多数かなあ

と感じます

 

憶測でしかないし

私はこの患者さんのことを

知らないから想像で話すのはやめますね

 

 

安楽死を論議する前に

緩和ケアという医療が日本にきちんと

存在していること

その専門家がいることを

きちんと知らせる必要があります

 

 

私の病院でも色々倫理的な問題を

しっかり改善していかないといけないという

風土に少しずつなっていて

先日心肺停止時のDNAR(蘇生処置不要指示)

についての勉強会をおこなったところでした

 

 

その時にも

医師以外の職種の方は

本人の意思を尊重し、希望を叶えるために

しっかり話をする事が重要だ

延命治療については本人としっかり話し合い

考える必要がある

必要なことはするべきだが

時に、医師の独断で医療が行われているように

感じる事がある、と意見を述べてくださった

 

対して医師の一人は

終末期なんてそもそもわからないし、ないし

そういう辛い話をもちだすことはできなくて

生きるために必要なんだから

医療を行わない方がおかしい

すべての人の希望をかなえるなんて難しいし

医療費の問題だけで医療を何もしないと考えるのは

問題だ、医師が必要と判断した場合には

医療行為は行うべきだ、と

 

 

これらの意見に正解はない

そんなことはわかっているのだけど

 

そもそも視点がどこにあるか、が

全く異なっていることに気づかれますか?

 

 

患者さんだったらどう思うかな、と

そこに想いをはせることが大事なのに

医師は(全員じゃないよ)

医療行為を行うことが善行で

患者さんの意思よりも

医療行為が重要と判断する傾向がある

 

 

患者さんの命は患者さんのもの

 

安楽死はすきではない

なぜなら自殺と同じだから

 

苦しみを緩和する方法は

薬ばかりじゃなくて

人のかかわり、空気とか

もうぜんぶであって

 

安楽死に加担する医師と

ひたすら医療を施したがる医師

 

ここも極端なんだな、と

 

お医者さん!

あなたたちは万能でもなんでもない

 

患者さんの気持ちを聞き

診察し

一緒に考える

医師はそういう仕事ではなかったでしたっけ?

 

医師は色々な人の意見をまとめて

決断しなければいけない、という

重い仕事だ、とは思います

 

でも独断であってはならない

 

私はそういう医師にはならない!

そうきめてやってきています

だからふにゃふにゃなのかなとはおもうけど

 

 

先日患者さんが言っていた

「診察室でだれも聴診も触診もしてくれなかった」

「ここで始めてお腹を触ってもらった」

「CTや採血で分かるだろうけど、顔をみてよ」

「病院に失望したよ」

 

何をみているの?

患者さんをみて

 

苦痛だけに焦点をあて

患者さんの顔や声を聞かない

そういうとき

早まった道

誤った道に

いってしまうのかもしれない

 

色々な考えがあるだろう

否定的な意見もあると思う

あくまで私の考え