「家に帰りたい!!」

 

入院患者さんでそう思わない人は少ないかもしれませんね

もちろん

色んな患者さん毎の自宅の事情もあると思うので

病院の方が落ち着くわ〜って時もあるかもしれないけれど

 

 

ある方の思い出を振り返ってみたいと思います

 

患者さんは皮膚がんで手術をされたのですが

様々な経緯があって、診断にも時間がかかったり

 

しばらく抗がん剤をうけながら自宅で過ごされましたが

リンパ節再発

それに伴う腕の浮腫、神経麻痺も生じ

つらさが強くなってきました

抗がん剤を行いたくなかった患者さんに

家族が説得する形で抗がん剤を行っていたこともあり

患者さんから

「もうこういう効果の期待できない治療はしたくない」

「生きたい」

「でも入院するなら、緩和ケア病棟がいい」

 

その経過で私達と出会いました

もともと別の病院で治療をされていた方

当院の方が自宅から近い、とのことでした

 

すでに皮膚は薄くなっており

いつでも浸出液がでてきそう

出血もする?かもしれない

一番こまっているのは、腕の部分と腋の部分がすれていたいこと

なにか、主治医もしくは看護師さんに

これらのことを伝えてあるか、と伺うと

伝えていないし、聞かれてもいない、と

 

こういうことは医療者から聞かないと

患者さんはみずからは言えないということを

把握して、質問をするべきである、ということ

 

しかし主治医には案外言わないこともある、ということ

 

これらを相棒看護師さんと再認識

 

私達のもつ叡智を組み合わせ

ケア方法、薬剤調整を行った

 

あしあとあしあとあしあと

少しずつ調整して2か月ほど経過

 

痛みは軽減

出血は起きたけど、あらかじめ伝えてあったので

調整も問題なくだったけれど

からだが少しつらくなっていたのか

 

本人は入院を希望した

「子ども達に迷惑をかけたくないから」

 

娘さんと息子さん

「そんなこと言わないで」

「家にかえりたいでしょ?」

 

本人

「いや、迷惑をかけたくない」

「それに、痛いのよ。動くと」

「だから、ね」

 

あしあとあしあとあしあと

 

結局は痛みをもう少し調整してほしいとの

本人からの申し出があり

入院した

 

痛みに対しての薬剤調整

皮膚のケアなどもだんだん複雑となった

 

自宅でよくされていましたね?と言うと

 

「娘がぜんぶね。やってくれるの」

「息子は買い物とかに行ってくれるわ」

 

ありがたいわ。

 

もう少しおちついたら家にかえりましょうか?

在宅でも過ごせるかもしれません

 

「・・・・。そうね。」

と急にトーンダウン

「家はねえ・・基本一人だしね」

「病院がいいわ」

 

あしあとあしあとあしあと

 

だんだん状態が変化し

とても動くことができない状態になってきた

 

外泊をすすめても

「いいわ、からだがつらくなるだけだし」

「うごくのも大変なのよ」

 

なかなか実現にいたらなかった

 

だんだんせん妄が生じ

意識がはっきりしなくなり

自分の意思を伝えることが難しくなってきた

 

そんななか娘さんから

「家に帰ることは可能ですか?」と質問があった

 

外泊ですか?

「いえ、家でみたいと思います」

「介護休暇もとることにしました」

「母は遠慮しているんです」

 

できなくはないけれどちょっと病状的に心配かなあ

おかあさんは何といっているの?

 

「何も」

「家にかえりたいに決まってます!!」

 

娘さんもこれまでずっと考えてこられたのだろう

私達は家族の気持ちをくみとることを

少しおこたっていたのか・・・

 

急な変化が生じやすいことなど

自宅での急変についてなどもお話した

それをふまえて、の退院をすすめることにした

 

訪問看護を導入し

家にかえることを支援した方がいいのではないか

との声が高く、私はどこかに引っかかりを覚えながら

でも進めていくことにした

 

本人は

「いい、いい病院で」と話す

娘さんは

「大丈夫、家ですごそうよ」

本人

「・・・・」

 

どちらを支えるべきか

私はちょっぴりのこころの引っかかりがあった

 

いいのか、

これでいいのか

患者さんの声を第一に

患者さんファーストになってる?

 

あしあとあしあとあしあと

いずれにせよあまり時間はない

 

各部署と連携、調整を行い、訪問診療、訪問看護を導入して

退院のはこびとなった

緩和ケア病棟は必要であれば、いつでも受け入れる

バックアップベッドとしての役割であることを

本人に伝えた

 

「ありがとう、娘の気がすんだらもどってくるからね」

「私は病院にいたいんだけどね」小声で・・・

 

ああぜんぶ患者さんはわかってるんだ

分かった上でこの選択をうけいれたんだ

 

親ってのはすごいな、と思った

少し心配だな・・・

 

介護タクシーに乗り込むのをみまもった

一日でも長くゆっくり過ごしてね

 

と願った

 

私との会話はそれが最期だった

 

退院して1週間後

 

救急搬送

 

救急外来でお会いしたとき、それはもう最期の時が

数時間後にせまっていることを察した

 

娘さんは取り乱している

「こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃなかった。」

「こんなことになるって、言ってなかったじゃないですかっ!!」

「こんなことなら家にかえるのを許可してほしくなかったっ!!」

 

ただただ

そばにいて、話をきくしかできない

そういうお話しましたよね、とか

そんなことは今不要

 

側にいよう。悲しみが少しでもおさまるまで

怒りを向けられるのは私達しかいないのだから

 

あしあとあしあとあしあと

 

誰をどう支えるかは

本当に難しい

 

いまでも思い出す

本人が病院にいたい、という気持ちをもっと優先すべきだったのか

家族の気持ちを優先しすぎてしまったのではないか

 

 

いまだに答えがない・・・

 

ただ一つ言えるのは

家族も第二の患者さんであること

彼女から学んだ事で

より一層

家族ケア、家族への配慮

そして

家族が、患者さんが決められるように

病状を説明していくこと

それをおこたってはいけないこと

 

緩和ケアの専門家は

それらを察知するスキルがある

 

だから緩和ケアも同時にうけるべきなんだと

いうこと

 

 

最近

八方ふさがりに思えることがあって

へこんでるもやもやもやもやもやもや

 

今日はだらだらしようっと

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