話をし、深夜までアカデミカルな話をし、深奥なゆげんを感じとっても、いざとなると実際に出来ることは政治体制によりけりだ。


肝っ玉の大きさと、突破力一本に特攻していく勇姿に、自身がその時酔って息巻いているだけで、理解ある周りの友人達には迷惑を掛けていた事が多かった。


人の話も嘘や作り話が多いとすると、より滑舌の良い話は話を盛っている場合がある。


昨今の自分のスタンスは謎が多く、余りにも周りが心配な顔をしているので知恵を使って自分を俯瞰する努力をすることにしている。


自分自身、一度耳にした事は覚えているのでなるべく相手を心配させないように気を付けて話す必要がある。


又はそれ以上に創意し、論説離れした、約説を朗々と語っている己の物怖じしないところなんかも、あった。


そこに本当の知恵者が居れば、僕の話は導入部的な役割が与えられて、才能を買われることもありました。


しかし、本当に伝えたかったこと、真実は、もっと朴訥で不細工な、一人の人間が仲間とどうしたら上手くいくか、


ずっと頭の中で繰り返して出来たプロポーションの悪い独り言みたいなトーンのか細い、力無き一言なのかもしれない。


それもまた一理あり、人として弱さを見せることが、お互いの心が通うことになるのでしょうか。


教えてください。

生体認証の技術は広汎性がある、素晴らしい。

ブロックチェーンはギャンブラーが多数渦巻いているのでまだ改良が必要。既成AIのディープラーニングの成果などをこれからも継続、平和的に入手し続けるつもりなら、国が傾く。


発表段階に入った先進的特許は、数しれず。


やる事は解ってる!


技術者達の前に絶対的なリーダーが現れる。

お金では決してなびかない技術者は星の数ほどいる。


自分が考えるには、それを調整、リミックスしてネット空間の何処かの場所に結果を散布して、ノンストップでストレスフリー。


まあ、詳しい話は省くけどね。。


今のパスキーは堅牢で最強だ。


計算に電気を食いすぎるスパコンを


リ・デザインして、(いわゆる今急速に展開されている、ミニPCプロジェクトかもしれない)

省電力でも起動させるか。


ネットワークされているパソコンの余剰出力を繋げて、アップデートする。(これはブロックチェーン技術の発達次第だが1年半後位には、技師たちは目覚ましく活躍されているだろう)



(日本政府の要人達が居直ってどこまで悪態をつくのか?!

ここまで悪を誇っている政治形態は、

永田町の存在意義さえも形骸化し、僕は未来を不安視している。そして日銀、財務省、厚労省、国交省、文科省、総務省、彼らは税金を無尽蔵にしゃぶり続ける。


何も日本国民が言えないのは、

幕府時代、いやもっとも古代から特権階級者からの圧力が物凄く、やり方が汚く、それでいて小賢しいのです。


1980年代から現代に掛けては、本末転倒の情報が表沙汰にされる前に精神病院に深夜連れて行かれたり、自衛隊に強制的に入隊させ、またそこで取引を持ちかけて、強情な態度を取る人は薬漬けにさせる)


医者のバイアスである難病、政府のバイアスである税金も、教育事業のバイアスである偏差値も、商社勤め、宮大工、飲食チェーン店、広告代理店、交通輸送、、etc


様々なバイアスのある、社会には序列という考え方が横たわる。


我々を解き放つものは、独善的なお金持ちではない。


素晴らしいアイデアだ。

 ウェアラブル端末を実生活に取り入れた事がありますが、良い端末着けていると、周りから色々茶々を言われるのがすごく嫌なの。


周りも健康に関しては、重要懸案の為にアマゾンなので価格を調査済みなのです。


アップルウォッチは電池持たないし、

お高いからからかわれて終わりだけど、


GARMIN全般、HUAWEIの高価格帯商品は、

基幹システムも優れていて質実剛健なので、周りの関心が尽きなかった。

今はスマホをSamsungのGalaxy S24にしたので、Galaxy Watch 6を購入しようか一瞬悩んだが、憧れに留めておこうと思う。


(車はとにかくお金が掛かるのと、メンタルヘルス系なもので、免許証も鮫洲の交通警察に一方的に奪われてしまいました)


時計のデザインが洗練されているので、存在感の薄い僕には、自己演出にピッタリ、ではあるが。。


自分の性格は、普通といわれます。

会話が発生したら、普通にコミュニケーション取れる。


一体どこがおかしいのかわからないが、薬抜きだけはリスクがすごく高いと言われます。


何度も実行したものの、果てしなく辛い。


自分自身も服薬に関して、受け入れるしかないところまで、理解が及んでいます。


その背景が色濃く反映された人生ではございましたが、ある程度戦えるようになったら、パートからフルタイムを経て、何かしらのエキスパートに目指さなくてはいけないと多少の焦りも混じります。


一番はお給料で仕事を選ばず、自分の身体の限界を承知してなくては、いけません。そうなるとフルタイムは厳しいのですが、寛解で終わらない、最大限に挑戦する生き方をしたい。


これが20代30代であれば、良かったのですが

車の両輪が回らない日々だったので、辛かったですね。


40代がどういう年代なのか。


古代ローマのセネカの著書を少しかじった事がありますが、皆道半ばにして倒れ、スタート地点に立ったとあんなに喜んでいたら、暗転して足元から崩れ落ち、意識が消えていく。人間の終わりは突然なんです。


そこを横断的に述懐し、セネカは日々の不健康な暮らしもやめられない自分自身に対して、まどろっこしさを感じていたようです。


今はモラトリアムという言葉さえもどこか理知的なものになり、


将来設計で簡単に70歳、80歳まで当然の様に生きられるという、脇の甘い考えを顧客に押し付ける、お金の事しかわからないのに


えばるFPの管理職にまたはお金のことさえも本質を突けない、FPフリーランスの地団駄を踏むところは容易に想像がつく。


医学を強く志す人に訊きたい!


患者を長生きさせれば、患者自身が更に苦く苦しい思いをすることについて、どう思いますか?