さすらいPAINTER~ジローの日記 さすらいPAINTER~ジローの日記 さすらいPAINTER~ジローの日記 さすらいPAINTER~ジローの日記

昨夜はМanUの試合を観て、気分が悪くなった。


香川は苦しい時だろうけど、生き抜く力を身につけてほしいね。


前回からの続きを書こう。


さて、あそこの美術館は、美術館といっても、一般の美術館とは違う。


働いているスタッフも、美大を出ている人間は知っているところ一人もいないし、


映像や舞台照明、アニメ、デザイン系の専門学校出身者ちらほら、


ほとんどは、宮崎アニメに心酔している普通のテーマパークの従業員といった感じだ。


実際、学芸員の資格を持っている人間は一人か二人くらいしかいない。


まぁ、種を明かせば、開館するときに、美術館という体裁を取らなければ、


公的なもろもろの支援を受けることができなかったから、っていうのが実情らしい。


そんな感じだから(…と言い切るのは無理はあるけれどw)


純粋に絵画とか、まして、皮ジャンやデニムとかのペイントなんかに興味を持つ人間もいなかった。


それでも、Y事務局長だけは、ファッション系に興味があったらしく、


実際アメカジっぽい普段着だったし、少々場違いなスカジャンなんかも職場に着て来たから、


(もっとも全然似合ってなかった、というより、当時はやりのちょいワル親父を気取って、無理して着ているようだった)


毎朝顔を合わせて、こそこそ無駄話をしながら、ぼくの、以前の仕事を知った時に、


釣り針に引っかかるがごとく、身を乗り出してのってきたのだった。


ちょっと、やってきたことを認められたようでうれしかったけれど、どっか、この人軽いな、と疑いを持った。


と、いっても自分は、この奇妙な人の、人生観とか商売経験とか、そういったことを聞いて、できれば指南してもらいたいと思っていたので、


作品を通して、つながりができたのは、なんだか心強かった。


さっそく、以前の仕事で、お客さん用に作ったサンプル作品集を、Yさんに観てもらうために預けた。


それは、デニム地や皮革をA4に切って、それに実際ペイントして、ペイント後の質感や手触りをお客さんに触って感じてもらうためのものだった。


でも、当面というか、その後も使う当てがなかったので、


その中から、気に入ったという〝ジミヘン像〟のペイントを綴りからはずして、Yさんにプレゼントした。


Yさんは、まんまと喜んでくれたのだった。


そんなこんなで、二年ほどたったときに、Yさんが、一着のジージャンを持ってきて、


「こいつにペイントしてくれないか」


と、唐突に依頼してきた。


それは、自身が大学を出て○―ソンに就職して間もなく買ったという愛着ある一着らしかった。


「どうだ、三十年も着ているんだぞ」


と、得意気にいうYさんの顔を見て、ぼくはうれしくなった。


ひさしぶりに、緊張感のあるペイントができることが、うれしかった。


あの美術館に行ったことのある人ならわかるだろうけど、


屋上が展望台のようになっていて、守護神たるロボット兵が鎮座、じゃなく鎮立している。


外巡りの掃除をしている時、あそこたどり着いて、ようやく唯一息抜きできる、そんな場所だった。


開館前なので、誰も人はいないし、監視される心配もないw


あそこに至るのが、時間的にだいたい開館直前の9時45分頃で、


そこで一息ついていると、館長かY事務局長のどちらかが、柄のついた鐘を持ってきて、


開館を知らせる鐘を振るのだ。


よく、Yさんと、そこから、地上の来館者の群れを眺めんがら、他愛のない話をした。


今日はよく晴れたな、今日も忙しくなりそうだな、とか。


そして、例の取引が行われたのも、そこだった。


Y事務局長は、恐る恐るといった風で


「できれば安く描いてくれないかなー」


といってきた。


たぶん以前にフライトジャケットのペイントの価格が、三万円を下回らないと話したからだろう。


もちろん、デニムのペイントにはそんな額はとらない。


ぼくは、内心いい給料もらっているだろうが!っと思いつつも、貸しができたなとほくそ笑んで、


「いまさら金なんて取りませんよ。だけど、条件があります。報酬として飲みにつれていってください」


と、いうと、


Yさんは、「おお、そんなんでいいのかー」っと、ほっとしたように喜んだ。


Yさんの依頼は、おおざっぱにいって以下のようだった。


ビートルズに関するものを描いてほしい。


ビートルズのロゴを必ず入れてほしい。


後は、任せる・・・・・


ちょっと待ってくれって思ったし、いまさらビートルズなんてベタ過ぎてセンスがないと感じたけれど、


実は自分もビートルズがかなり好きだったので、もしかしたら、Yさんもリアルタイムビートルズフリークなのかな?っと思って聞いてみると、


「いや、別にそんなんでもない。俺が好きなのは沢田研二だ」


とか、わけのわからない答えが返ってきた。


もう、その頃には、彼のことを威厳のある人物だとみなしてなかったし、この人正真正銘、軽い人だなと、思った。


それから、ペイントが完成するまで、Y事務局長とは、疎遠になっていった。


彼は、美術館の顔の役割を担っていたのでしょっちゅう出かけていたし、もう入りたての頃のように、下っ端がするような雑用をすることもなかった。


お互い気づけば、二言三言挨拶がてらに進捗状況を交わす程度で、


さらに、例の震災のごたごたがあり、ますます顔を合わせる機会も少なくなっていった。


そうして、ようやく、震災後の状況が落ち着き始めてきた頃、自分も、そろそろこの職場を辞めようと思っていた頃で、


辞める前に、さっさと完成した作品を渡さなければと、仕事中、出かける間際のYさんを捕まえて、手渡した。


それが、写真のジージャン。


表のポケットに、ビートルズのロゴ、バックペイントは、


サージェント・ペッパーズ・ロンリ―ハートの、実際、当時没になったほうのロゴ。


Yさんはとても喜んでくれて、「もうすこし、落ち着いたら飲みに行こうな」っと多少申し訳なさそうな顔をした。


その後、仕事中にすれ違った時に、


ジョン・レノンが亡くなってから三十周年で上演されたドキュメンタリー映画の試写会に招待されて、


これ着て行ったんだよ、まわりから注目されたよ、宣伝しといたよ、とか、


いや、ジブリの社員旅行にこれを着て行って、みんなに見せてやったよ、とか話しかけてくるものだから、


なんだか、痛々しくなってきて、報酬なんか、どうでもよくなっていた。


まもなく、ぼくは、Yさんに知らせることもなく美術館での仕事を辞めた。


そして、ちょうど二年前の今頃、


美術館のスタッフの友人から、メールが来て、Y事務局長が、亡くなったことを知った。


どうやら、ぼくが辞めた直後の健康診断で悪性のガンが見つかり、すでに全身に転移していたらしい。


それでも、スタッフの前で、俺はガンと闘うと宣言して、治療を受けながらやせ細った身体で、死の直前まで美術館勤務をつづけていたらしい。


実際、ぼくと、Yさんとの関係は、距離が遠かったから、葬儀に行くようなことはしなかったけれども、


友人によると、お棺のそばの数々の遺品の中にぼくの〝ジミヘン像〟が飾られていたそうだ。


しかし、あのジージャンがどこに行ってしまったのか、息子さんに受け継がれたのか、


それとも、Yさんとともに焼かれてしまったのか、わからない。


なんだか、悲しいというよりも、今思えば、夢の出来事のような話で、その人と本当に出会ったのかも定かに奇妙な気持ちなのだけど、


どうあれ、結局、お人好しのぼくは、


またしても、自分の作品のまともな対価をうけとることができなかったわけで、


ちょっとひんやりとした風が吹く、この季節になると、


「Yさん、まだ報酬は受け取ってませんよ」


と思うのです。