ここのところ、サンマを食べ過ぎて、気持ち悪くなってきた今日この頃。
まだ晩飯食ってないんだけど、今はラーメンが食べたい。
さて、続きを書くといった以上書かねばなるまい。ブログの内容なんて、結構、
その時の気分に左右されるものだ。
ちょっと重い内容だと、なおさら。。。。。
さて、続き。
そういうわけで、その職場で働きだしたのだけど、とりあえず、
初めのころは、はっきりいって個人的な印象はよくなかった。
竹ぼうきで庭先を掃いてて、いつもこちらから朝の挨拶をするんだけど、
みんな疲れているのか、低血圧なのかw快く返さない連中が多数・・・、
そのくせ、〝企業ブランド〟を維持して、壊さないことが、第一義にされている感じ・・・・
自分は、どっちかというと、他のことは結構許せるんだけど、
表向きだけじゃなく、仲間内の挨拶だけは、しっかりしようぜ、って心意気主義だからね。
まぁ、あそこにはまだ友人も多数いるし、
ほとんど匿名のブログとはいえ、あまりディスれないね。怖い怖い笑
でもね、所詮、表側はきらきらでも、内側は普通の会社と変わらないからね。
それはどこも、あの〝夢の国〟だって、同じだと思うんだけど。
もとい、そんなわけで、ふ~ん、案の定こんな雰囲気なんだとか、思い始めた時、
一人だけ、明らかに感じの違うひとが、門をくぐってくる。
白髪の交じった鼻ひげをはやした、小柄な五十過ぎくらいの男性、映画監督の井筒さんを
もっと柔和にしたような容貌。
たぶん、見るからに偉い人だろうとは思ったんだけど、礼儀正しく快い声で、一介の掃除人に、
挨拶してくる。
とりあえず、アニメーター崩れの偉い人かな?くらいに思っていたのだけど、
やたらと腰が低いので不思議に思っていた。
ちょっと後になって、彼が○ーソンから転職(ヘッドハンティング?)してきた、Y新事務局長だと、わかったのだが。
宮崎映画の○ーソンでのチケット販売システムの構築、とくに〝千と千尋〟では多大なる貢献をした人らしく、
前職でも、それなりの地位にいたらしいのだけど、安定した地位を捨てて、
一念発起、夢である、自分で映画を撮りたいとかなんとかという理由で退職してほどなく、
スタジオジブリの社長だった鈴木プロデューサーから、ハンティングされたらしい。
まぁ、そんな面白い経歴を持ったひとだったんだけど、
五十代のYさんには、彼なりのやりかたで、新しい職場に臨む覚悟があったのだろう。
まず、門をくぐってさっそく、制服に着替えて、美術館周辺を掃除する。
あの美術館に行ってみれば、わかると思うけど、
宮崎さんの頭の中でできた建物だから、とにかく迷路のようで、
朝の外掃除なんかは、開場までの短時間を、くまなくアスレチックコースをタイムトライアルで巡っていくような、
結構過酷なものだった。
しかも、雨が降ろうが雪が降ろうが、落ち葉が降ろうが、台風来ようが、灼熱の太陽に晒されようが・・・・・
とにかくやることに意味があるといった、むしろ伝統芸じゃないかと自嘲してしまうような仕事で、
とくに、台風とか落ち葉の季節なんかは、ギリシャ神話の、〝シーシュポスの岩〟
がいつも思い出されていたほどだ。(わからない人はググってください)
そういった中で、身分はピン切りくらい違うんだけど、毎朝、Yさんと顔を合わせていくうちに、
異端な男同士w、照れながらw仲良くなっていった。
ちなみに、自分は出入りの清掃業者に雇われていたので、
美術館スタッフと同じ制服を着ていても、取引先である、美術館の連中とは、
あまりなれなれしく接するべきではないと、それとなく釘を刺されていた(面倒くさい)
でも、個人的には、そういう縛りを解き放つつもりで、いろんな人間と、いろんな話をして、
いろいろ知ってやろう、ぐらいに考えていたから、
もし、グダグダ言われて首になってもいいやって、くらいに考えていた。
職場を選んだ動機も、不純だったしね。
と、いうわけで、長くなりそうなので、続きは次回。
ってか、少数でも自分のブログを観てくれている人がいることが不思議なのだけど、
まぁ、業者さんや、商売っ気のある人とか、中にはいるんだろうけどw無駄だから笑
自分は徒然、日記のようなつもりで書いているので、沢山じゃなくても、一人か二人でも、興味を持って読んだり絵を観てくれる人がいるなら、それでいいって感じです。
そんな奇特なひとは、読者申請してもらえたら嬉しいです。あっ、ちなみに自分は自作の絵を公開しているけれど、ここでの商売っ気は微塵もありませんから笑 愚痴って売れないとか書いているけどね笑