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内海桂子師匠  昨日のツイッターからの抜粋です。


三月十日の東京大空襲で下町の人間は誰しもが死ぬ可能性があった。私達家族四人は日に日に激しくなる米軍の空襲に荷物をまとめて何時でも逃げられるようにしていたが、まさかこれほど激しい攻撃を予想も出来ず焼夷弾が落とされてからは何処を見ても火の手が上がり逃げていく方向すら見出せないでいた。

国際通りの交差点に来ると日本刀をかざした褌一丁の男が「逃げるな」と叫んでいた。我々は近くにあったブリキで火の粉を避けて数時間そこでうずくまって火が通り過ぎるのを待っていた。近くの隅田川に逃げた人達は川に飛び込んでも身動きできず焼死、溺死数万人。私達は褌の人に助けられた。

夜が明けて何となく市中が見えてきたが、黒い塊があちこちに散乱していた。最初は分らなかったが皆焼死体で、まだ焼け焦げの匂いで腐った匂いではなかった。申し訳ないが自分達の事で精一杯、兎に角その辺から一歩でも静な方に逃げていきたかった。いつ何時空襲が始まるかそれだけが心配で。

私達四人が無事な事を確信したが、周りはことごとく焼け落ちて方向が分らない。長年の土地勘と近くの金竜小学校から判断して祖父の田中町を目指して歩き出した。奇跡的にその家は焼けていなかった。祖父は死んで継祖母の代になっており私の母とは仲が悪く心配したが何とか入れてもらえた。

継祖母の家は表通りと裏に二軒あり普段なら結構な広さであったがこの時は凄い人数が頼って逃げてきたのでてんてこ舞いしていた。生き死にを目の前で見てきた人達には好き嫌いなんて言っている暇はありえない。さすがお爺さんっち、直に炊き出しが始まり美味しい塩オニギリを頂いて一息ついた。

その後物凄い空襲は無く下町は焼け跡と死体の後始末でてんてこ舞いしていた。屋根のある家屋には一寸の縁さえあれば当然のように人がやってきて住みつくようになり、私共は変に居ずらくなった。そんな時足立区西保木間で義父の兄弟の家が空くという知らせがあった。高射砲陣地のすぐ隣だとか。

西保木間はご亭主が出兵中で奥さん一人。高射砲陣地の隣なので毎日大砲の音が物凄くノイローゼで田舎に帰ったとか。私達は直に引越し、といっても着のみ着のままで移りました。音には慣れているので敵機が来るとそれ打ち落とせと見ていましたね。当ったと皆で喜ぶと日本の飛行機だったりして。



大正十一年生まれのバランス感覚にいつもハッとさせられています。


忘れてはいけない日、黙祷。


御開帳

御開帳です。


新井薬師梅照院の御本尊様は、秘仏としてお祀りされており普段そのお姿を拝見する事ができません。しかし、12年に1度だけ御開帳があり、お姿を拝見することができます。


今月30日まで、新井薬師梅照院御本尊様の御開帳です。


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期間中、本堂前に開帳塔婆が立ち、その塔婆からはお手綱が渡されます。このお手綱は御本尊様の手と繋がっており、お手綱を手に取って頂くことで、直に御本尊様と御仏縁を結ぶ事が出来ます。


ちょこまか参拝はじめて二、三年。初めて薬師様と直にご結縁出来ました。両手で挟んだ繋がる紐は、糸電話の様で、単純になんか嬉しかったです。


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8のつく日は縁日です。金魚屋さんの風情は最高、で、金魚飼うことに。


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次の御開帳までまた12年、ある程度の方向性を近く決めようと思いました。




皆様の一日が良い日でありますよう、感謝を持って12年後を迎えられますよう。