昨夜、夫に「なんで、あたしは、いつも気にしているんだろう? じーちゃん(夫)は落ち込まないの?」と


尋ねてみると、「落ち込まない。あんたは気にしすぎなんだよ」と言われた。


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落ち込みすぎると・・・というか、5年前、うつに罹り、その時、心の持ち方とか生き方とか

自分によさそうなものは、手当たり次第読みまくった。


今でも、落ち込みすぎると、そういう本を読む。


ぢんさんの本は友人が勧めてくれた。


それから、ぢんさんのメルマガの最初のほうに、斉藤一人さんとの出会いが書いてあり

先週の金曜、まるかん特約店に行き、CDをくださった。


それを聴くと、子供の頃に親から言われたことが、足かせになっている というようなことを

言っていた。


私は、子供の頃、母親から「お前は、いい加減だ。」と言われ続けてきた。

何かすると、平手が飛んできたり、時には、ものさしで打たれたこともあった。

※ものさしの時は、これは自分が本当に悪いことをした時。

ここには書けないけど。


本当に、怒られてばかりいた。

今、思えばビクビクしていたと思う。


5年前、うつになり、そのあと、うつになった原因を色々と話した事があった。


実家のこと

仕事のこと

夫の親とのこと

色々な事が一遍に起きたため、何かが外れたんだと思う。


そして、子供の時のことを母に話すと


「その時、自分は、そういうことしかできない状態だったんだから仕方がないじゃないか」

と言われた。


“悪かった”のひとことを期待したが、開き直られてしまった。


まあ、母親も父親との仲が悪く、子供に当たるしかなかったんだろう。

※結婚前、母親自身が私を、はたいていたりしたから

「お前に子供が出来たら、子供に手を挙げる親になるかもしれない」と

心配していたことがあったが、私には子供は子供ができなかった。


でも、今でも鮮明に覚えているのが、梨とバレーボールのことだ。


梨は、子供会の祭りの時、もらったのだが

私は、「1個だから、怒られる」と思った。

今にして思えば、1個だから怒られることはない。

でも、その時は、理由もなく 「1個だから怒られる」と思い

大人がやっと通れるぐらいの路地で、ひとくち齧り、梨は捨てて帰った。


バレーボールは、母親が中学生の頃、やっていたそうだ。

普通、小学生低学年とバレーボールで遊ぶなら、ゆるい球を投げ

打ち返させるぐらいだろう。


でも、しごきのごとくの球を投げられた。

当然、取れるわけもなく

「そんな球がとれなくてどうする?! 」と言われた。

あれは遊びじゃない。


今も、あの時、母親がどうしたかったのか分からない。



バレーボールの話しは、夫にしていないが

梨の話しや、否定され続けてきた子供の頃の話しをしたときに

「そういう風に育ってきたから、今も自分を否定し、小さい事も気にするのかもしれないな」

と夫は言った。



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今、私は、今の自分から脱したいと思っている。

うつになったときの、苦しさとは違う苦しさが今ある。


もっと、楽な気持ちでいたいんだ。

人から言われたことを、いつまでも気にしている自分を脱したい。