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ドラマ「#家族募集します 」を見たあと、号泣した
何気ない話をできるひとがいてくれて
そのひとと会えることがどんなに自分の中で大きかったかということに気づいたから
"さみしい"ってこういう事なんだなって、わかった気がする

大切な人がいなくなってしまった時
自分の想いが、そのまま
あきらめて消えることになった時

今まで想いを巡らせ、いつか叶うかもしれない
まだ実現していなくても
また今度
という
そのひととの間での約束を果たせる可能性があった時と

その希望が光を失ったかのように、感じる
悲しみ。

(喪失感っていう言葉を知った。)

でも、自分の話をできた時
言えると癒えて
やっとのことで

その事実を自分の中で受け止め
声に出して
まるで成仏するかのように
涙が一緒に溢れて
出ていく

だから、さみしいも
悲しいも
嫌だも辛いも

日々の生活や忙しさで感じられなかった
感じないようにしてきた感情

出せるひとのところで
まずは自分ひとりの前からでも
言えるようになったら、少しは楽になる

そんな重い話じゃなくても

一緒にご飯を食べたいひとと食べながら
何気ない話をする中で

ふと話した言葉を聞いてくれるひとがいる

自分の話を聞いてくれる

わたしにとってそれは、かけがえのない時間で

とても安心できる空間で

好きなひと達と過ごしたことは思い出になり

びっくりする程
久しぶりに
朝までぐっすり眠れた日になりました

家族でも、パートナーでも、友達でも
他人にどう思われるかなんて
どうでもいいから

自分が過ごしたいと想うひとと過ごせた
それだけですごい事で
自分が
その人の想いに応えたい
そう思った小さな願いを叶えられて
喜んでもらえた

それは自分にとっても、すごく嬉しいことで

それがやりたい事なら
なんの問題もなくて

誰も傷つかない
ような気がする

好きなひとが幸せなら、それで十分
かもしれない

それも自分の幸せのひとつ。

自分なんて全然
まだまだ

当然のことをしているだけ・・・

本当は辛いのに
悲しいのに
しんどいのに
がんばってるのに

本当は一人でかかえきれないのにやってる

そこを感じとってくれるひとからの
"がんばってる"は、嫌な気持ちにはならない。

一人では事実を受けいれて、そんな現実世界に帰ってこれないぐらい辛い出来事も

もうひとり、鏡のような存在の大切なひとと出会うことで
乗り越えてしまえる

簡単でなかったことが、なぜか
知らん間に
なんか知らんけど

自分の話をした途端に
涙が溢れる
そんな不思議なことが起こることがある☆

これは言葉では説明できないし
する必要もないし

なぜかその人との間で起こった現象というか

意味があるかどうかもどうでもいい事なのだと思えるほどに
何かが
ほどけたり、溶けたりするものだと思う。

そんな出会いは
ひとだけに限らず、物語や言葉の時もあるかもしれない。

とにかく、誰かと比べてとか
人にどう思われるかなんて事は関係なく
自分たちがそれで良いなら、いいのだ

という出来事を、何度も繰り返しているような気がする。

だけど結局、本当の本当に体験してみたいのは
王道の
誰もが良いと言うような

そんなスタンダードを経験し
ひとから、それいいね!と言われ
自分も、いいでしょ?!と、自慢みたいなことをしてみたい✨

こんな事がわたしの願い。

どっちも経験してこそ選べると思うから、やってみたいな

チャレンジを続けてみたい

そう感じる今日でした😌

最後まで読んでくれてありがとう♡うれしいです

#west
#でっかい愛