杏仁豆腐

杏仁豆腐

ミルクゼリーにアーモンドシロップつけただけです、ごめんさない。

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昨年10月某日、長野県にある松代大本営跡に行ってきた。
ここを知ったきっかけは忘れてしまったが、この1年間ずっと行きたいと思っていた場所である。

第二次世界大戦の時、東京での本土戦に備えて、皇居と大本営を引っ越すことになった。
その引っ越し先が、長野県松代町である。
空からの攻撃に備え、大本営はすべて山の中、地下に設置された。
しかし、完成前に終戦を迎え機能することはなかった。
松代大本営の概説は以上とする。詳しいことはウィキペディアを参照。

ここでは実際に行った感想を述べる。
私自身、行く前に行ったことのある人のブログなどを検索したが、非常に少ない。
今後行く人の参考になれば幸いである。

松代大本営跡の見学スポットは2か所ある。
ひとつめは象山地下壕、ふたつめは皇居になる所だ。

はじめに象山地下壕を紹介する。
地下壕付近に資料館がある。
ここの資料館で詳しく松代大本営について話が聞ける。
また実際の工具などが展示されており、持たせてもらえる。
今でいうドリルであるが、とても重く、一台を三人で使っていたという。
(残念ながら写真はない)

実際の地下壕の入口が下の写真である。

この入口の手前にヘルメットがあるのでそれをかぶって中に入る。
マスクの着用もおすすめする。
中は土埃がひどい。(翌日も口の中が砂利っぽい感じだった)

中の写真が以下である。
裸電球が並んでいても暗く、ひんやりしている。
遠くのほうに山を削った時の穴から外からの光が見える程度である。
中の様子をはっきり見たい場合は懐中電灯があると便利だ。
中にはドリルを押し付けた時の穴や、そのまま抜けなくなってしまったドリルなどが残っている。
壕内のわずかな公開範囲ではあるが、とても広く感じる。
(一人では行きたくない)




つづいて、皇居になる所を紹介する。
象山から車で少し行った山の斜面にある。
天皇の部屋と皇后の部屋が下の写真である。
現在は地震観測の施設として利用している。

振り返っても山の景色である。(以下の写真)
写真には写っていないが、この山の並びに三種の神器を祀る山がある。
その場所は、伊勢神宮と皇居を結ぶ場所と細かく指定されている。
また、三種の神器を祀る場所ということで、日本男児のみが工事したという。



皇居から少し山を下ると地下壕があり、現在では地震観測として利用されている。
壕内にもある、ドリルの穴がここにもあった。
ここでの見どころは、案内板の表記内容である。
歴史認識の改変などにより何度も表記を変えたため、白い紙が上から貼られたりしている。




以上が実際に行った感想である。
あくまで「行った」感想であり、そこから何を感じた・考えたなどのことはここには表記しない。
ガイドツアーで来ている人もいたので、行くときに調べてみたらいいだろう。
(私はガイドツアーではなかった)

おまけとして、この周辺の見どころは、歴史好きな人には武家屋敷、
鉄道好きには廃線となった松代駅の駅舎である。

台南での留学を終え、最後の三日は台北に滞在した。
そこでは台南と台北の違いがあったので今回は二か所の比較をする。

まずは天候についてだ。
あまり気温差を感じなかったのは夏だったからであろう。
台南同様、台北の天気が読めなかった。
天気予報では傘マークがあったが雨は降らない。
台湾で一番驚いたことは日本の天気予報の的確さであった。

つぎは街についてだ。
台南は街中の通りにはたくさんドリンクスタンドがあった。
しかし台北にはそれはあるにはあるが、台南より圧倒的にすくなかった。
台南に居た感覚で台北でそれを探すのは非常に大変であった。
一方台南同様であったのが小吃を売る店の数、コンビニの数であった。
それらは変わらない印象を受けた。
また台南と比べバイクの数が非常に少ないため、道を渡るのが怖くなかった。

最後は夜市についてだ。
台南の夜市は曜日固定で開いている。
一方台北は毎晩やっている。
やはり夜市と言えば台北である。
夜市の規模ももちろん台北の方が上だ。
台湾に居た時にこれをブログに書こう、というネタがあったら記事のところにネタを書いて保存していた。
台湾から帰ってもう1か月過ぎたというのだ。
日記を書ききっていないので久々に開くとお題が「小ネタ」であった。
過去の自分の無茶ぶり具合に驚いている。
小ネタなど忘れてしまった……。
日本と比べると台湾の物価はとても安い。
安い安いというが、それは日本と比べてのことだ。
台湾の中での物価というのはどのようなものか比べたいと思う。

台湾で有名な肉飯がある。
それは白飯の上に小さな豚の角煮のようなものをのせたものである。
たいていどの店でも茶碗1杯15~20元で売られている。
ラーメンや定食などは店にもよるが、80元前後が多い。
小吃と呼ばれる軽食は25~50元が多い。
コンビニで売られている飲み物は35元、弁当は45~50元ほどだ。
ドリンクスタンドで売られている飲み物は25~50元ほどだ。
台湾では1食100元で食べられる。
おもしろいのはテイクアウト専用の寿司屋で1貫10元で売られていたことである。
回転寿司では1貫30元がほとんどであった。
もちろん高級なものを選べば100元では収まらない。

次は衣類についてだ。
街で売られている服は安いもので100元、200元の品物がある。
これも食事と同じで上はいくらでも高くなる。
高くなるものはたいていブランド物で百貨店や大型路面店である。

交通の金額は前述であるためここでは割愛。

他にも携帯電話の料金や家賃、光熱費などが気になったが、台湾人に聞くことができなかった。
仲良くなった台湾人のバイトの時給は80元とのこと。
水商売であっても200元という。
別の台湾人は「日本は物価が高くて行くことができない」と言っていた。
とはいえ、仲良くなった台湾人はみな日本への留学経験または予定がある。
すべての授業が終わった。
このひと月、台湾に来てからの中国語の上達具合を報告する。

正直言って語彙は特に増えなかった。
しかし言い回しや定型句、ネイティブがよく使うフレーズ、単語の用い方などが身についた。
自分で驚くほど身についたのはリスニング力だ。
今まで日本での座学だったためあまりリスニング力がつかなかった。
早口で言われればまだ理解はできないが、ゆっくりと言われる分にはだいぶ慣れ、また即答することもできるようになった。
これは留学に行ってよかった点である。
まだまだ発音は苦手ではあるが、ネイティブの発音をそのままコピーすれば通じるということを学んだ。
今まで声調記号を再現することで頭がいっぱいで、教科書付録の発音CDなど一切聞いてこなかった。
これからは発音CDの発音をコピーすることに力を入れたいと思う。

台湾の水道水はもちろん飲めない。
火を通せば飲めるらしく、スープを作る時の水は水道水である。
ミネラルウォーターの種類も豊富だ。

日本のプールの水は塩素が強い。
台湾のプールに行く機会があり、塩素でしみるのが嫌だと思っていた。
しかし行ってみると、塩素消毒がないように感じた。
あったとしても日本より少ないのだろう。
普通の水道水のように感じた。
今回は台湾での生活でよく使った言葉を紹介する。
台湾では繁体字が使われているが、パソコンで繁体字を出す設定ができなかったため簡体字で記す。

「对」「懂」「好」
何か言われるたびに返していた言葉たちだ。

「谢谢」「非常谢谢」
ひたすらお礼を言っていた。
悪い印象は与えていないだろう。

「再一次」
相手の言っていることが分からない時に使った。
台湾人に突然話しかけられると焦って聞き取れないときに特に使った。

「我要这个」
商品名が読めない時に指さしで使ったフレーズ。
非常に便利であった。

「有没有~~?」「要不要~~?」
スタッフの人に尋ねるときに使った。
勢いで文末に「吗」をつけてしまったことがしばしばあった。

「没有零钱」
1000元札を出すと小銭はあるかと聞かれたときに返した言葉。
仲間同士でも割り勘の時によく使った。

「不用了」
タクシーで違う行き先を勧められたときに連呼した言葉。

「请问」
誰かに尋ねる時に最初に言う言葉。
丁寧な回答を得ることができた。

「在这里」「去冰半糖」「小杯」
店で注文するときによく使った言葉。

簡単な会話であれば基礎で覚えた単語を用いてばかりであった。
しかし少し上の会話をしようとすると、とたんに知らない単語が増えて焦ってばかりであった。
辞書にさよならを告げる日はこないだろう。
台湾の道はくさい。
渋谷のくさいとは異なる。
台湾には道路にたくさんの飲食店があるからだ。
とくに臭豆腐は特別くっさい。
臭豆腐とは別に独特のにおいがあった。
これは何だろうとずっと思っていたら、台湾料理の料理実習で正体が分かった。
台湾料理で定番の香草だった。
この香草を料理に入れるまで、よくある炒め物料理だった。
しかしこの香草を入れた途端、草の香りが脳を刺激し、脳裏に浮かんだのは台湾の街並みだった。
料理も一気に台湾料理になった。
結局その香草の名前はわからなかった。
台湾では夜市が有名だ。
夜市と言われてピンと来ない方は、夏祭りの縁日が並んでいる風景を想像してもらいたい。
それが決められた場所で毎日、あるいは決められた曜日で開かれている。
そこでは、小吃というさまざまな軽食が食べられる。
縁日同様、風船割りなどのゲームもできる。
とても多くの人で賑わうところだ。
とある店の前に、腕を失った人が物乞いをしていた。
台湾で物乞いをしている人で身体のどこかがない人が多かった。
彼らはなぜ体を失い物乞いをしているのか気になっただけだ。
夜市についてあとは旅行ガイドブックを参考にしてもらいたい。