人生と創造の会オリノです。
皆さんこんにちは。
これから先は前回紹介した「FL-J通信8号」を読んだことを前提と
しますので、まだ読んでない方は下記リンクよりダウンロードしてください。
2019年2月発行の第8号です。
さて、本題に入る前にもうひとつ重要な確認です。
くどいようですが、これから書くことはあくまでも私個人がそのように解釈
しているということであって、ビリーマイヤー氏が文中で言わんとする要旨
からズレていたり、理解が不十分なところが必ずあるということです。
私もあなたと同じ水準に存在する人間であり、同じく学ぶ者だからです。
~霊と人間の意識は別物だが一体でもある。~
「FL-J通信8号」(以後は”文中”と表記します)を読んでいただいた
ことを前提に話を進めていきます。
まず言及されていることで重要なことは、「霊」と人間の意識は別物だと
いうことです。
「霊」は人間が日常に利用している意識、自分を自分だと感じる意識のこと
ではなく、さらに心でもないと説明されます。
この点が「霊の教え」が論理的であり、合理的なところなのですが、
地上で肉体とともに生きる人間、物質的観点からしかものを見ようとしない
人間には理解が難しいところでもあります。
また宗教やスピリチュアルに傾倒していますと、肉体の死後は死ぬ直前の
意識状態が継続して天国や霊界に移行すると信じているでしょうから、
「霊」と自意識は別物と言われても受け入れがたいでしょう。
そのように受け入れがたく感じてしまうのも無理はありません。
宗教やスピリチュアルの教えでは一般的な人が理解できるように、
各人が日常で使用し、喜怒哀楽を感じる意識・人格・心理こそが「霊」
であると説明されるからです。
また、自己の意識とそこから生起する思考と意志が人生を展開する
という事実は論理と経験から真実であります。
それは遥か昔から多くの思想家や哲学者も言ってきたことです。
しかし、自意識とは別に「霊」があると明確に言及した人はいませんし、
各人が人生を振り返っても、そこに明確な「霊」の介入や教導のようなものを
見つけることはできないでしょう。
ゆえに、人間的感覚では自己の意識と肉体こそが自分のすべてであり、
人生・現実の中心・核心であり、意識と肉体こそが真の自己としか
思えないのです。
そのようなところに【意識・心=霊】と聞かされれば、そう思えてしまうのです。
しかし、それだけでは真実の半分にもならず、カルト宗教につけ込まれる隙を
残したままです。
~「霊」は守護霊でもない。~
「霊の教え」においての「霊」を誤解しやすいものに守護霊や指導霊とか
いったものがあるが、それらも神や救いと同様、人間の想像の産物です。
自称の教祖・霊媒師・チャネラー・ヒーラーや占い師が好き勝手に自身の
妄想を垂れ流しているだけです。
だから人によって言うことが違うし、信ぴょう性など期待できないでしょう。
~「霊」は「創造」であり、人間及び人間的知的生命体は
物質的世界に現れた「霊」の一部分~
空に太陽を見るとき、私たちは眩しい光を見ることになります。
その時、太陽を見ていると思ってしまいますが、厳密には太陽光を
見ています。
恒星である太陽自体を見ているわけではありません。
ここで二通りの考え方・見方ができます。
光源の太陽と放射された光を別々に考えることもできるし、
太陽が無ければ光を感じることも無いのだから、両者は切っても切れない
関係にある、一体である、と見ることもできます。
「霊」と人間の意識も同じような関係にあります。
「霊」が太陽で、人間の意識と人格に相当する「物質的意識」が光です。
そして「物質的意識」は「霊」が生命を与えた肉体とひとつになり、
人間の意識として機能します。
つまり、「霊」を太陽とするなら、光は人間自体と言えるのです。
それは太陽が無ければ光もないように、「霊」が無ければ人間も存在
しないのです。
あなたが存在するということは、真のあなたである「霊」があなたという
人間を存在させているのです。
次回に続く