人生と創造の会オリノです。
このシリーズも次回で終わります。
43 未来は何をもたらしますか?
Prophetien
lorwort, Seite 8
この世の人間よ、聞くがいい。
これはすでに数千年来何度も告げられたことである。
君は預言をないがしろにし、冒涜してきた。
だが君の「今」に注意するのだ。
それは大いなる転換の時代であり、君にはまだ最後のチャンスが残っている。
もし君がこのチャンスを活かさなかったならば、君の子孫は地球の計算で四千年紀を
少々越えるまで君を呪うだろう。
この世の人間よ、君がなおも創造に背き、創造を罵るならば、二千年にわたって
恐ろしい出来事が告げられる。
その出来事は、君自身、君の邪説と知性のない誤った行為と行動によって責任が
あるのだ。
Prophetien
Donnerstag, 19. November 1981, 17.28 Uhr
(PETALE-Botschaft)
ヨーロッパは灰と炎に沈み人間の血が砂に染み込み
第三次世界大戦が荒れ狂い
狂気の所産が邪悪な者たちによって賞賛される。
何百万という死が蔓延し人間は容赦なくなぎ倒される
それは戦争、すなわち第三次世界大戦
人間自身の手によって、
宗教、カルト、欲望、憎しみ
そして権力によって呼び起こされた
なぜならば地球人は愛を嘲るばかりだから。
Talmud Jmmanuel
Das 25. Kapitel, Die Prophezeiung, Vers 34-35
そのとき人類が50億人をはるかに越えたら、大部分は根こそぎにされて殺される。
法則はそれを求めるのだ。
なぜならば人間は法則に違反し、かつ遠い未来まで法則に違反し続けるだろうからだ。
44,神秘とは何ですか?
Geisteslehre
Lehrbrief Nr: 12. Mystik
すでにミノア語には神秘という名称が「Myein」という言葉で存在していた。
それは目を閉じるという意味である。
カルマという概念も神秘という言葉も、時の経過の中で、いわゆる秘教徒や
教派主義者や宗教関係者によって変造され、別の意味を持たされた。
実は神秘という概念は、内的な自己と創造的な意識が同調し合一して啓発と
進化に向かうことを意味している。
神秘的な体験を引き寄せるこの高貴な道は中庸、黙想、瞑想の修練を積む
ことによって達成される。
この場合、すべての外的な知覚は遮断しなければならない。
45、なぜこんなに犯罪が多いか 死刑は是か非か?
Folter, Todesstrafe und Überbevölkerung
犯罪者は常に、惑わされた者、そそのかされた者.病人、泥棒、そしてまた殺人者
あるいは自殺者として行動する。
いかなる場合でも、犯罪的行為はひとえに錯誤した、そのため病的な思考過程に
基づいているからだ。
たとえ彼らが犯罪を事前に入念に計画しようともである。
犯罪行為を働く人間の思考は異常で非論理的なので、たとえ犯罪の裏に非常に
多くの悪知恵や知性が潜んでいようとも、そこには誤導、誘惑、あるいは病気を
認めることができる。
しかしながら、病気や誤導や誘惑は、それが犯罪という病気であったとしても
癒せるし、取り除くことができる。
ある犯罪病が治る可能性の要点は、治癒と償いにある。
償いとは、犯罪を犯した人間が義務としなければならないことである。
しかしながら、治癒と償いとは、処罰に値する罪を犯した人間が自分の行為の
非論理性や犯罪性を自覚して、健全な思考過程に乗れるようになることを意味する。
そのためには、当の人間に自分の行為や病的な思考の誤りを意識させ、場合に
よっては医学的処置を与える。
罪を犯した人間は教示と学習によって自分の罪と誤った思考 を認識し、真実で
法則に適った生命体である人間へと転身しなければならない。
このような作業において、罪を犯した人間を適当な期間、社会から隔離しなければ
ならないのは当然である。
過ちを犯していない人間に認められたすべての自由が、罪を犯した人間に保証される
としたら、およそ償いというものは成り立たなくなるであろう。
死刑を要求し、擁護し、あるいは遂行する人間、彼らは心の奥底では臆病で、
不安に満ち、そのうえ欲深い。
彼らの思考は病的なほど無責任で非理性的である。
そのために、自己の思考能力を超える出来事について思考しようとすると、彼らは
たちまち怒りや不安、憤りや無力感に捕らわれてしまうのである。
なぜなら、そういった出来事に責任意識をもって取り組むには、彼らの思考と
その力はまだあまりにも原始的だからだ。
拷問と死刑は断じて罪を償わせるものではなく、原始的で理性も責任もない人間の、
最も原始的で犯罪的な復讐と自己満足以外のなにものでもない。
彼らの知能指数と人間性は、破廉恥な所業のために拷問を受けて、生から死へと
送られることになる犯罪人よりもはるかに劣る。
拷問や死刑の擁護者や遂行者が、死刑執行人であろうと、あるいは裁判官や弁護士、
主婦、単純労働者や乞食であろうとも、いかなる場合でも、拷問や死刑を擁護し要求し、
または遂行することは、際限のない原始性、愚かさ、強欲、教派主義、邪悪、残虐、
無責任を、理性的および悟性的思考の無能力を、そして最も原始的で感情的な未熟を
証明するものである。
オリノです。
何と厳しい言葉だろうか。
私たちの日本も死刑を容認し、二か月前にオウム真理教事件の主犯を
まとめて抹殺したばかりである。
この死刑について考える時、私たちの中に憎むべき輩への処罰を求める
感情が根付いており、多くの人間がそれを当然としている。
上の文章は、霊と創造の真理を知る者には理解できても、そうでない者から強い反発
を受けても仕方がないだろう。
その時に聞く耳を持つものに話が出来るように学び続けなくてはならない。
次のことを自分に訊いてみてください。
麻原彰晃の死刑に反対できるか。
M崎勤の死刑に反対できるか。
猟奇的殺人犯の死刑には。
それがヒトラーなら。
スターリンなら。