戦後80年なんですね。


我が家は、父が陸軍にいたんです。

小さい頃からテレビで日露戦争だったか、203高地の激戦地だったか、映画を父とよく見ていました。



父は年齢より1年飛び級で志願して入隊し、3月生まれだったので

体が小さく苦労したそうです。


いつなのかわかりませんか

歩兵で出兵の時に

隊長の息子が歩兵を志願し、父は交替で食料供給隊を任されたのだとか。

馬に乗って移動していたそうです。


その頃は最前線に向かう歩兵がすごいと思われてたんだと思います。



父は終戦の8月に少佐の辞令が出ましたが

任を直接受ける前に終戦になったので、記録では大尉で終戦を迎えたようです。


中国にも行ったことがあっと聞いた気がしますがどうだったかな。


英語、中国語、ロシア語が話せたって言ってたような。


終戦で、これからは英語が必要になるって思って終戦後、日本で英語を習得し

(アメリカからお金を沢山奪わないとな、って思ってたらしいニヤニヤ)



ロシア語は

ロシアに2年抑留されてたんです。


そこで、時計、ベルトのバックルを奪われたって言ってました。


ロシアに抑留されてるあいだにロシア語を習得したそうです。



日本では樺太にいた時に終戦になり

日本軍が自ら命を落としていく中、

死ぬな、生きて故郷に帰れ、と部下の方々に伝え、抑留の目に遭ったようです。



小さい頃、父はよく

泥水すすり、草を噛み、で生きた言ってましたが


何ふざけたこと言ってるの?冗談でしょ。訳分からんこと言ってると思ってました。

父も、私の返答に笑ってたし。


でも今思うと、冗談抜きの生きるか死ぬかの日常だったのかと思うと胸が苦しくなります。



父は体が小さかったので

階級が上がっても軽く見られないよう

タバコを吸い始めたらしく

後世はやめることが出来なくなり辛そうでした。



帰国して結核がわかり

手術した影響で肺の機能が弱くなりタバコも吸ってて


私が高校生ぐらいから、毎年冬になると入院してました。

一度風邪を引くと、長引いていたように思います。



朝日新聞だかの取材を受けたり

記録の本に名前が載ってたりしました。


亡くなって

アルバムなど見てた時

陸軍の生活風景や、入隊名簿の写真が沢山出てきました。


あの時代に、こんな写真があるんだ、と最近見る機会があり、その存在すら知りませんでした。


亡くなって28年。

父が生きてた頃、貴重な体験を詳しく聞くこともなく過ぎてしまったことが心残りです。


私は4人兄妹の末っ子で遅くできた子供だったのもあり


小さい頃はよく一緒にいましたが

年頃になるにつれ距離を置くようになってしまったんですよね。


仕事バリバリしてた父が急に弱くなっていったのを、すぐに受け入れられなかったのもあります。



本当に最後、体が弱くなった時に聞いた話。


陸軍で、体が小さかったから、無理にタバコ吸ってみせたんだという話は


訪問ヘルパーさんから実は聞いた話なんです。


私がもっと寄り添ってあげられたらって思いましたが、


普段は仕事してて会う時間も減ってきてたので、仕方ないところもありました。



コロナの中、母も亡くなり

今ではあちらの世界で2人仲良く過ごしてるかな〜。



戦争を体験されてる方の話を聞く機会が減ってきてて。


私も記憶が薄れていく中

どこかに残しておきたいな、と思ってのつぶやきです。



日本で。
日本酒の利き酒も美味しそうでした。
私お酒、飲めませんけど笑

父はビール、小さいコップ一杯で真っ赤になってました笑