私は好きなことを伸ばす努力ではなく、母が私にこうなってほしいという姿になるための努力を求められてきましたし、自分もそれに応えようとしてきました。

その頑張りが生むのは、私自身の満足感ややり甲斐ではなく、母の満足感と安心感でした。


そしてこの満足感は一時的なものであり、底なし沼なのです。


学生、社会人も母の基準での完璧を求められましたし、結婚し妻になり、母親になった今もそれは続いています。


ずっと母親に応えようとしてきましたが、娘のおかげで、最初は母親ではなく娘のために生きていこうから始まり、今は娘がたくさんのことを気づかせてくれたので、自分のために生きようと思えることができて、娘には感謝してもしきれません。