今年のスーパーボールはすごい逆転劇だった。ファルコンズはなんで負けたのかわからなかったかもしれない。
しかし、朝から報道されているのは、ハーフタイムショーのレディ・ガガ(敬称略)が何を歌ったかの方が主だった。
レディ・ガガに何を期待していたのか知らないが、スーパーボールは米国民の一代イベントで、両方の支持者が見て楽しんでいるのだ。
レディ・ガガの選択は多民族からなる一つの米国を訴えたと思えた。一番良い選択だったと思う。ハーフタイムショーでトランプ大統領を非難する発言をして、その後のスーパーボールを皆で楽しめるだろうか?
一部メディアはもっと過激なメッセージを期待していたようだが、それは分裂を加速することにしかならなかっただろう。米国の半分近くはトランプ大統領を支持しているし、半分はトランプ大統領を非難している。デモは非難が多いからそればかりが目立つが、支持している米国民が半分いるんだよ。だから、そのようなメディアは騒ぎを起こしたいだけで、無責任としか思えない。反トランプよりな視点が米国の中立なイベントで際立つことはさらなる対立を生むことになったろう。それを主にとりあげる日本のテレビもいい加減にしてほしい。それより重要な国内ニュースあるでしょ。
結果、この演出にまとめたレディ・ガガのスタッフは優秀だなぁと思った。

ちなみに、勝ったペイトリオッツのQBは、トランプ支持で、TEの選手は反トランプだそうだ。その選手は大統領の招待はされても拒否するそうだ。チームのロッカーでは政治の話はしないそうだ。個人の信条は持ち込むべきでないということだ。そうだよな。
朝日新聞の社説で、辺野古に関してこのような記載があった。この比較は短絡過ぎてどうにもならない。沖縄と比較するのは日本の安全保障だ。
であるから、沖縄と米国を比較して決まっているわけではない。
朝日新聞には、日本の安全保障をどうやるのが良いのか、社説ででも明記してもらいたいものだ。言うのはただだからなんとでも言えるだろうが、中国と手を組むのか、ロシアと手を組むのか、単独で身を守るのか、各国のなされるがままにするのか、どうなんだろう?
安全保障の考え方がないのに、沖縄と米国を比較するのは無理だ。人気取りの政治家でもあるまいし、安易な比較は意味がない。
本日2017年2月7日の天声人語は、保活の国ということで、未だに「保育園落ちた日本死ね」という、本人の意図に反し一人歩きした言葉を使っているのには驚く。
私は、保育園にはあまり賛成しない人なのだが、理由は子どもの小さいうちはやはり親が育てるのが良いと思うから。共働きだから保育所がないというのは一つの意見だが、共働きしたくてしている人もいれば、共働きしたくてしていない人もいる。共働きしたくない人が共働きしたい人の子どもを預かるとちょうど良いのかもしれないが、無責任なことになるので現実には無理だな。
子どもと仕事とどっちが大事かは決めればいいんじゃないかな?今の仕事が好きなら子どもは作らないことだ。保育園に受かる受からないでだいぶ違うから、こういう保活というような現象が生まれるんだろうけど、子どもを作らなければそういう問題は起こらない。保育園の数に合わせて子どもが生まれれば問題はない。将来的には不安があるかもしれないが、保育園問題は解決する。
例えば今回何とかと言う作家の何とかという本で、「上司に必要な人材であると言う手紙を書いてもらう」とか「夫婦で役所に行き熱意を感じてもらう」とか、まるでテクニックだ。就職の面接とか入試の面接とかでもあるまいし、公正なくじ引きではなくなっているのであれば、そのことに驚きだ。自分さえよければよい、自分だけ受かればよいという、姿勢なのだ。こういった気の利いたことができない人は割を食うのか?その方がよほど変な行政ではないのか?
私としては、保育園を増やすのも必要かも知れないが、育休の期間を延ばすことがよいように思っている。
保育園も経営する側で考えると、モンスターな親を相手にしたいかね?ミスがあったらすぐ訴訟になるし、そんなに保育園を経営したいかね?米国でも訴訟に耐えられず、保育園が減少しているのが数年前に社会問題になっている。
保育園を増やすと質が低下するのは間違いないが、安心して預けられるかね?親がつきっきりでも目が行き届かない場合があるのに、多勢に無勢な保育園で目が行き届くかね?

そうは言っても、現実に困っている人たちがいるからどうにかしないといけないのだが、なかなか進まない。簡単な問題ではない。増やすにも、場所を決めれば反対運動にあったり、保育園を公園に作るにしても反対があったり、保育士を集めようとしても労働のきつさなどで人数が集まらなかったり。東京都だけがお金を使えるので、整備できるかもしれない。結果、東京への一極集中が進むことになる。
天声人語は気楽でいい。