どうも、別格です。



聞きたかった言葉が聞けなかった時、がっかりしちゃうことってありますよね。


例えば


その人のためになると思ってやったのに


「そんなこと頼んでない」「余計なお世話だ」と言われたり


なかなか会えない彼氏に電話をしたら


「なんの用?」って言われたり。



本当は


「ありがとう」「助かったよ」「声が聞けてうれしい」「会いたいね」


って聞きたかっただけなのに。



聞きたかった言葉が聞けなかった時って、期待していた分そのギャップが大きくなって余計にがっかりする。


じゃあ、期待しなきゃいいじゃないか、って言われるのもごもっともなんですけど


そんなことできます👀???


期待しなければ傷つかなくて済むとかメリットもあるんでしょうけど、「〇〇しない縛り」がある生き方ってどうにも窮屈に感じてしまいます。



そもそも「期待」が持つ意味が人それぞれ違いますでしょうから、期待する・しない論争はここでは保留して話を戻しますね。



聞きたかった言葉を聞けなかった時、悲しくなります。


期待した自分が情けなくなります。


今までの人生を否定したくなったりもします。



でもそれほんと?


本当に聞きたかった言葉を聞けてないんでしょうか?



『「ありがとう」「助かったよ」「声が聞けてうれしい」「会いたいね」って聞きたかった』という、じぶんのこころの声が聞けてるじゃないですか。



よろこんでほしかった。


好きな気持ちに応えてほしかった。


そんなじぶんの本音が聞けてるじゃないですか。



もしかしたらそのまた奥に


嫌われたくない。


捨てられたくない。


そんな気持ちが隠れているかもしれませんが、隠れてるんだからいちいち暴くこともないでしょう。



相手がどんな言葉を返してこようとも、聞きたかった言葉はちゃんと聞こえている。


そんなふうに思います。



まー、そう思うことでがっかりした気持ちを穴埋めしてるだけなんですけどね(笑


穴に落ちたままよりマシでしょ、ってことで。


ではまた。





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