今日職場で聞かれました
「蕨で児童虐待があったけど店長の家の近くですか?」
事件のことは知っていたけど
詳しいことまで知らない自分は
「蕨のどこだろう全然わからないなぁ」と答え
その後、虐待なんて信じられないとありきたりの会話をしました
今日は珍しく早く帰ってこられました
普段はつけないテレビを見ていたら
番組が蕨の虐待の話題に
ナレーターの声
『事件のあったアパートはもう無くなり今は違う建物が…』
モザイクがかかっているけど
自分の家の目の前だということはすぐ分かった
目の前、そう本当に目と鼻の先
現場には事件当時
古いアパートが建っていました
事件があったのは2008年2月
自分は当時付き合っていた彼女が留学から
数ヶ月ぶりに帰ってくると浮かれていた
「自分は浮かれていた」
ただその記憶が2008年2月にはある
同じ時期、目と鼻の先のアパートでは
小さい子供が心と身体を痛めつけられていた
それどころか命の灯が消えかけていた
もう消えてしまっていたのかもしれない
当時もしその事実を知っていたとしても
自分には何も出来なかったでしょう
浮かれていた自分には何も…
何も出来ないという決めつけはよくないかな…
よくないよね
家の近くに駄菓子屋がある
夕方、子供たちの声が大きく鳴り響く
自分にしてみれば雑音
でもきっとこの子は
この声の中にに交ざりたかっただろうな