粟野川沿いは、大字で口粟野、中粟野、入粟野になっています。今年は梅雨の晴れ間がなく、異常なほど日照時間がありません。キュウリやナスは1.5倍以上の価格になっています。今日は、ようやく日が射すというので粟野川沿いに出掛けました。まずは蕎麦。入粟野の水沢という集落にある蕎麦屋さんです。川魚も養殖していました。鹿沼名物の「ニラ蕎麦」を大盛でいただきました。本当に大盛でビックリしました。ナスの煮物が付いて750円、とっても満足しました。
さて、黒達磨で有名な賀蘇山神社、通称「尾鑿山(おざくさん)」登山で人気の石裂山です。


元禄時代に建立された遥拜殿は彫刻が見事です。

書き置きで、御朱印あります。

近くには、廃校になった粟野第三小学校があります。

明治初期、先ほどの賀蘇山神社社務所が学校の歴史です。今の校舎は昭和28年のものです。木の窓が良いですねー。

昭和34年が児童数のピーク、91人でした。林業の衰退で昭和44年には45人。その後、平成に入り第二小学校と統合になって廃校となりました。

その粟野第二小学校も、平成23年(2011)廃校となりました。昭和37年に学校改築の陳情が出され、昭和58年に新築された山奥にしては立派な地元の誇りの学校でした。ただ、昭和23年に208人いた児童数は、昭和44年には90人になっています。本当に、このような建物が必要だったのでしょうか。

校庭は、地元の人にグラウンドゴルフ場として解放しているようですが、それをする老人すら少なくなっている限界集落です。
この小学校は、口粟野の第一小学校に併合されました。そして、新たに粟野小学校として新築されました。地元の財産区から五千本もの杉が寄付されて、木造として新築されています。


かつて林業で栄え、今は寂れている粟野ですが、財産区の方々の情熱で立派な地産の学校ができました。本来は、災害時の避難場所としても耐震性で木造は難しいのですが、困難をクリアして全国から見学が絶えないそうです。
粟野財産区については、平成26年に発行された「粟野財産区史」に盛衰を詳しくみることができます。
栃木市星野(現在の大川市長のお宅がある)から先は、鹿沼市です。昔は上都賀郡永野村で、合併の際には議論がありましたが、栃木市ではなく、上都賀郡粟野町との合併を選択しました。大越路峠は、現在はトンネルができて粟野町中心部にも楽に行けるようになりました。

峠路には、有名店の蕎麦屋さん「大越路」があります。

この日は友人と暖かい蕎麦を食べましたけど、中華料理など何を食べても美味しいです。
ここから、永野川沿いに集落が続きます。川から高い台地に、昔では「麻」「煙草」、今は「蕎麦」が栽培されています。なので、美味しい蕎麦屋さんが何軒もあります。

永野小学校です。児童数は40人ほど。

永野中学校は廃校となりました。今は永野コミュニティセンターになっています。

更に奥に行くと、尾出山神社があります。

鹿沼市指定天然記念物のモミノキです。

更に奥に行くと、百川渓谷です。


昭和30年代に道路や橋ができました、林道です。

一番奥は、このように日が射す山で伐採と植林がされています。

途中には、残念ながら無人となった集落がありました。手入れはされていますので、子孫の方々が定期的に訪れているのでしょう。家のカレンダーは平成17年で止まっていました。


栃木市内の永野川です。左手の「水道山」の麓は市民プールでしたが、今は住宅地になっています。
永野川は、旧永野村(鹿沼市)の山を源流にして、利根川水系の巴波川(うづまがわ)に合流します。子どもたちが小さい頃に、犬を連れて上流まで遊びに行きました。次男のサンダルが流され、必死で追いかけた懐かしい思い出があります。

栃木市立千塚(ちづか)小学校、20年ほど前に建てられた時は、田舎に不似合いな洒落た校舎だと思いましたが、今は田園風景に合っている地域のランドマークです。児童数は150人ほど。

千塚工業団地です。すでに8社の工場建設が決まっています。多くの従業員や納入の物流で今後は賑わうと思われます。やはり、働く場所があるということは地域にとって大きな要素です。

この先にある寺尾南小学校は、2014年に寺尾中央小学校と一緒になり、廃校となりました。千塚小学校と同じような洒落た校舎です。今日は市から委託された人が、整備をしていました。
「若い人が減っているからしょうがない」と。

統合先の寺尾小学校です。その時に建った新校舎です。児童数は86人ですが、少子化を見越したシンプルな造りです。

寺尾中学校です。在校生は40人ほど。

この先が、鹿沼市永野です。
続く