忘れてた。
俺んち「染や」だった・・・。
記事があったんだねえ・・。ローカルとは言え。そういや、このまえテレビに3回位放送されたとか言ってたな。


なんだかかなりなロマンの架け橋みたいだけど・・・。まあ、そこまでではないよね。


この仕事、実はJのおじいちゃんが創めた(いきさつは知らんけど・・・)。
http://www.iwate-np.co.jp/2004kikaku/fuyusuke/fuyusuke-top.htm
たまたま親父が長男なのに継がなくって、親父の弟とその息子が分家として繋いでる。
(あ、親父は元々教師で今は物書き。なんか、県内では親父知らないのはもぐりの教師とまで言われたことがあったそうな、なかったそうな・・・。余談。)

京的には紺屋。な、もんで屋号はちょっと呼びやすく訛るって「こーや」。
今はだいぶ少なくなったいわゆる熟練の技術を頑なに守ってるのは事実。
抗いようのない時代の変遷を流すことも困難なことは、いつも見て知っているんですが・・・。
もし一歩違ってたら、俺が「染や」継いでた可能性は勿論あった。
ちょっと面白かったので、記事にしてみました。


インターネットの世界はすごいですね。
ひょんな記事が世界発信ですもんね。

びっくりしたんで(びっくりするほどのことでも無いが・・・)記事にしてみました。